コンテンツへスキップ 投稿日:2023年4月3日/更新日:2025年2月9日

ありのままを受け入れる主イエス様

教会堂で祈る人

主イエス様は、ありのままを受け入れると聞いたことはありますか。確かに悪人をも受け入れます。罪を犯し続けても良いと言う意味でしょうか。私たち罪人さえもありままに受け入れてくださる、主イエス様の憐みについて考えてみます。

人それぞれに個性がある

短気な人に出会ったことはありますか。育った環境が短気にさせたのか、それとも生まれつき短気なのか、いずれせよ、それは個性として捉えられます。短気な人は、大多数が生まれつきかもしれません。生まれつき短気だからといって、人をバカ者呼ばわりすることが許されるのでしょうか。怒り狂って、その節度のない怒りによって人を殺してしまうことが許容されるのでしょうか。

憐れみ深い神様は、私たちそのままを受け入れてくださいます。しかし、同時に悔い改めなさいと戒めています。怒りっぽい人には、怒るのをやめなさいと。エロ好きな人には、自分の心を節制しなさい、と戒めています。

憐れみ深い主イエス様は、我々の現状を受け入れる

イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」ヨハネ8章1‐11節 聖書協会

ユダヤ人律法学者たちによって姦淫の罪で捕らえられたこの女性は、主イエス様の目の前に出されました。律法学者たちは、「このような女性は石投げの刑にすべきだと聖書に書いてある」といって、主イエス・キリストを試しました。この挑発に「罪のない者が石を投げなさい」と主イエスは答えました。そして、主イエスはこの女性に言います。「わたしもあなたを罪に定めない」と。この様に、神様は私たちが今置かれている現状を受け入れてくださいます。過去の過ちを責めたりはしません。

憐れみ深い主イエス様は、悔い改めなさいと言っている

主イエス様は、同時にこの女性に「これからは、もう罪を犯してはならない」と戒めました。憐れみ深い神様は、私たちのありのままを受け入れてくださいます。これは紛れもない真実です。しかし、主イエス様のメッセージには続きがあります。

人生再生のための悔い改めのメッセージです。人は新しく生まれなければ、神の御国に入ることはできません。キリストによって新生が起きるのです。この女性も罪に定められないと知って、ホッとしたかもしれません。主イエス様は、彼女の背中を押して、もう一歩進んで悔い改めなさいと促したのです。

彼女が置かれていた立場と私たちが置かれている立場は、違うかもしれませんが、主イエス・キリストのメッセージは100%同じです。同じ福音が語られているのです。主のメッセージを改めて聞いてみましょう。

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