コンテンツへスキップ 投稿日:2025年1月1日/更新日:2025年2月9日

信じられるキリスト降誕の意味

Happy New Year

イエス・キリスト降誕の意味について考えてみます。クリスマスを迎える12月には、多くの牧師の方々が、クリスマスの重要さを訴えますが、日々、キリスト降誕に感謝すべきでしょう。キリスト者が毎週日曜日にイエス・キリストを礼拝するとき、毎週がクリスマスであるべきです。主の降誕を感謝し、また私たちの罪のために十字架で死なれたこと、そして3日目に死から復活した事実を覚え神様を褒めたたえるのです。

人間の悲しい事実

人間の歴史は、いい意味でも悪い意味でも、競争、戦いの歴史です。人間は競争が大好きです。誰が一番か知りたがる、誰が一番偉いのか、誰が一番頭がいいのか、誰が一番速く走れるのか、誰が一番強いのか知りたがります。企業、オリンピック、映画や歌でも、誰が一番が決めたいのです。

悪い意味では、この競争心は戦争・紛争という形で現れます。人類の数千年の歴史の中でいくつの戦争があったのでしょうか。世界中を見回したら、数え切れません。これからも、戦争は続いていくでしょう。主イエス様が帰ってくるまで続くでしょう。

人間には、自分中心にしか考えられない心があります。チャップリンの映画を見てみましょう。仮想ヒットラーが風船の地球儀を上げて遊ぶシーンがあります。同じようなことを、国レベルでも個人レベルでもやっています。世界各地の世界地図を見ればよくわかります。日本の世界地図、ヨーロッパの世界地図、アメリカ大陸の世界地図、センターにいるのが自分たちなのです。

自分を神様の立場においてみたら

自分を神様の立場においてみたら、このような人間たちを救うために何をするでしょうか。人間たちは自分たちの身勝手さを知ることができるのでしょうか。善悪を教えてもダメです。善は何かを知っていても、それを出来ないのが人間だからです。人間は、時と場合によって、善悪の基準を変えます。だから、善悪の基準を教えてもダメです。

人間、悪いことをしたらその分を償うべきだと、不思議な事に誰もが思っています。ヤクザのような人たちでさえ、彼らのルールに沿って思っています。聖書が教える罪の償いは死です。一回の罪で死ななきゃいけないなんて、それはかわいそうです。やり直しが効かない人生であれば、みんな死んでしまいます。

では誰かを犠牲にすればいいと考えましょう。罪人の代表者として、誰かを犠牲にして、神様に赦してもらいましょう。極悪人はどうせ死ぬべきですから、この人を犠牲にすれば、善良な人は救われるかもしれません。

でも極悪人は自分の罪のために死ぬべきですから、何の償いにもなりません。普通であればここであきらめます。罪深い人間たちは、もう救いようのないからです。どうすれば、人間たちは自分の罪深さを知ることができるのでしょうか。神様は諦めませんでした。

キリスト降誕のイメージ

主イエス・キリスト、神が人となった

天の神様は、すべての人間のために全人類の歴史上もっとも重要なことをしました。旧い契約では預言者を通して、神様は教えましたが、それでは罪人が教えているに過ぎません。それでは人間は耳を傾けません。天の神様は、人間に直接、生きる道を教えると決めたのです。

ヨハネ1章1節、14節、3章16節を読んでみましょう。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。…言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ1章1節、14節、3章16節 聖書協会

神様の一人子が、人間に直接、神様の御心を教えるために、天から降ってきたのです。人間の力ではどうすることも出来ない、罪の呪縛から人間を救うために、天にいたキリストは、人となって生まれてきました。この真理を理解して初めて、クリスマスの本来の意味を理解できるのではないでしょうか。

神様だけが教えることができる生きる道

私たち罪深い人間が、他の罪深い人間に生き方を教えることは出来るでしょうか。不可能です。両方とも、奈落の底に落ちていきます。どんなに偉人と呼ばれる人でも、必ず暗い部分があります。非常に有名で尊敬されたクリスチャンを調べました。みんな暗い部分があるのです。

主イエス様には、裏も表もありません。暗い部分、罪はまったく犯しませんでした。この暗闇の世を照らす光として、私たち人間に現れたのです。だから、私たちは心からこの方を信頼することができるのです。

主イエス様は、天の父なる神様と一体でした。天から降ってきた主イエス様は、父なる神様の命令通りに、神様の御心を語り、人々に救いのメッセージを語ったのです。そこには一寸の狂いもありませんでした。人間に対する父なる神様の愛と憐れみを語り、罪を悔い改めるメッセージをまっすぐに語りました。

イエス・キリストの神性は、裏表のない、暗い闇の部分などまったくないその行動、その言葉に現れています。このような方は、人類の歴史上、イエス・キリスト以外いません。

イエス・キリストの愛

主イエス様は天から降ってきた神様です。だから、私たち人間を無条件に愛し、同時に私たちに生きる道を教えて下さっています。どのように生きるべきかを、具体的に教えているのです。

主イエス様は、愛という言葉を使わなくても、愛で満ちている事を私たちに言ってくれるのです。私たちが聞きたくないような事でもはっきり言って下さいます。その勇気、愛、すべてにおいてぶれる事がありません。

例えば、姦淫の現場で捕らえられた女性が、主イエス様の目の前に連れてこられました。この時、主イエス様はこの女性に対して、何と言ったのかを読んでみましょう。

ヨハネ8章4-11節を読んでみましょう。P.180

8:4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 8:5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」8:7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 8:9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 8:10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。ヨハネ8章4-11節 聖書協会

イエスの言葉に愛という言葉は出てきませんが、その言葉一つ一つに、神様の愛が満ち溢れています。人間が、他の人間に対してこのような言葉を言えるでしょうか。主イエスは、人間が聞きたくないことを愛と憐れみに溢れた言葉で言えるのです。主イエスの言葉は、私たちの心に刺さります。私たちは、主イエス様に素直に従いたくなります。

主イエス様だけが、すべての文化を超えて、すべての人間の心に訴えかけることができるのです。だから、常に私たちは、主イエスに耳を傾ける必要があります。

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イエスは私たちのために犠牲になった

主イエス様は、全人類を裁く事が出来る方なのに、完全に自分を低くされました。見返りを期待しない愛、親切をすべてにおいて実践しました。それでも、何一つ悪、罪を犯さなかったのです。すべて私たち一人一人のためです。この方が、私たちの罪の身代わりになって、罪の償いとして死にました。この方が私のために、あなたのために犠牲になって死んでくれたのです。罪を犯したことがない神の子、一人子イエスを死なせてしまいました。この方法でしか、私たち人間は、自分たちの罪深さを知ることはなかったでしょう。

神様の愛を、人間の愛に例えていろいろ説明できるかもしれません。例えば、親に対する子供の愛に例えられます。友人に対する愛にも例えられるでしょう。しかし、それは神様の愛の本の一部しか説明していません。

主イエス様に生きてもらって、罪深い人間が死んだ方が、平和な世界になるんではないでしょうか。でも考えてみて下さい。そんなことをしたら、この地球上に、人間など一人もいなくなってしまいます。主イエス様だけが残っている状態になってしまいます。そんなことは、神様は望んでいません。

むしろ、神様の御心はその逆です。勇気をもって生きなさいと言っているのです。キリスト者は、日々、主イエス様に学び、倣い、主の御心を求めて生きていきます。聖霊なる神様に満たされ、日々、御心通りに生きていけるように祈ります。

このような生活習慣を通して、主イエス様の救いのわざを実体験するのです。しかし、それでも私たちは、この人生はバラ色の人生ではありません。時には試練、苦難が私たちを襲ってくるでしょう。そんな時、次の主イエス様の言葉を思い出してください。

これらの事を話したのは、あなたがたが、わたしによって平和を得るためである。あなたがたには、世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。ヨハネ16章33節 聖書協会

今読んだ聖句にも、イエス・キリストが天からこの地に下って来た理由が示されています。私たちが生きている間、悪魔ゆえに、この世では苦難、試練に遭遇します。しかし、それでも大丈夫です。主イエス様の恵みは、どんな苦難、試練をも乗り越えさせてくださるからです。新しい年2025年が始まりました。クリスマスは毎週あります。主の日に礼拝するからです。

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