戦争と平和についてクリスチャンは、どのように考えるべきでしょうか。聖書の中には、イスラエルの戦争の記述があります。しかも、神の命令によってイスラエルの人々は、カナンの土地を略奪したのです。ただ「戦争反対!」と叫ぶだけでいいのでしょうか。
戦争と平和ー多くのクリスチャンの対応
旧約聖書の戦争の意味は、「わからない」と一言で片づけ、多くの方々が深く考えず通り過ぎてしまいます。多くのクリスチャンは、このような聖書の記述を「今は新しい契約の時代だ」と言って通り過ぎてしまうかもしれません。
しかし、それではクリスチャンの説明責任が果たせていません。このページでは、旧約聖書の戦争を真正面から捉え、その意味を神学的にひも解いていきます。読者の皆様の感想などお聞かせください。

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日。日本では、被爆国の故でしょうか?他国よりももっと世界平和が叫ばれているように思えます。さらにクリスチャンの間では、なおさらのように思えます。しかし、そのように主張しているクリスチャンが、どうしても無視できないことがあります。また、聖書の信憑性を語るときにどうしても通らなければならない道があります。それは「旧約聖書と戦争」というテーマをどのように解釈するかです。
「戦争反対!」と叫ぶだけでは十分ではない
ちなみに私は憲法9条を盲目的に守ろうとするクリスチャンの方々とは、一線を画しています。実際に私の友人であり先輩であり70歳以上のクリスチャンたちは、強い護憲主義者です。そのクリスチャンの人たちが、共産主義の人たちと手を組んで護憲運動をしているのは、私には非常に興味深く映ります。戦争をクリスチャンは、どのように捉えたらいいのでしょうか。「平和!戦争反対!命の大切さ!」という共通理念だけでは、説明しきれない聖句が聖書にはあります。旧約聖書には戦争が記されているのに、盲目的に「平和!平和!」と叫ぶのは無責任のように私には思えます。
クリスチャンの方は戦争反対を神の御心として声高に主張していますが、その人たちは旧約聖書の神と新約聖書の神を分けているのように私には思えます。旧い契約では戦争は肯定されたが、新しい契約では戦争は禁止されていると解釈しているのです。しかし、神がなさることに、変わりはありません。そこには旧約も新約もないのです。
クリスチャンの説明責任
- 外部リンク 佐倉哲氏の記事 殺せ!と神が命じる時・・・
佐倉哲氏は、上記のサイトでこのテーマについて書いています。非常に誠実に率直に書かれています。佐倉氏の批判に、どれだけ答えられるかわかりません。読者の皆様に賛同は頂けないかもしれませんが、理に適ってる説明ができれば幸いです。
多くの方々が、旧約聖書に出てくる戦争に疑問を持っています。それに対して、正当な説明がないがゆえに、クリスチャンにならない人もいるでしょう。聖書を批判的に見る人もいます。
クリスチャンは、聖書に書かれている戦争について、弁明する責任を負っているのです。ノンークリスチャンの疑問に答える弁明責任があるのです。ぜひ読者の皆様も管理人とご一緒に、戦争の問題についてお考え下さい。
- 外部リンク 聖書は戦争について何と言っていますか?