コンテンツへスキップ 投稿日:2025年2月8日/更新日:2025年2月11日

革命的な自己中心的じゃない自己愛

自己中心、ナルシスト

自己中心的じゃない自分愛は、意外と難しいのです。なぜでしょうか。実は、素直に自分を愛すること自体難しいことなのです。そもそも自己中心的な考えとは何でしょうか。

自己中心的な考えとは?

自分を中心に物事が動くべきだ、と考える人に出会うことがあります。まさに自分を中心に地球が回っているかの様な態度です。他の人のニーズなどは眼中になしのごとく、自分がいつも正しく他の人を見下したり批判するような方です。聖書は次のように説明しています。

そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し・・・。2テモテ3章2-4節 聖書協会 

しかしこのような態度は、紙一重で誰もが持つことが出来るのです。ご自分に兄弟姉妹がいる方は、子供の頃、兄弟喧嘩をしたことはないでしょうか。また、結婚している方は夫婦の間で言い争いになったことはないでしょうか。それは皆、自己中心的な態度が原因なのです。

他の人がこのような自己中心的な態度をとっていると、私たちは当然ながら不快に感じます。その態度の方からは、距離を置きたくなります。一方で、私たちも時には同じように態度で人に接してしまうことはないでしょうか。自分が見えない自己中心がある現実も、自分がどれほど自分勝手であるかを現しているのではないでしょうか。

上記で言い合わしている言動や態度を、聖書は人間の罪であると明白にしています。実はこの罪は自分でどうすることも出来ないのです。自己中心的な心は、自分のセルフイメージを汚してしまいます。私たちのネガティブなセルフイメージは、次の例のように歪な形で出てきます。

ナルシストの自己愛 vs 自己嫌悪と劣等感

自己愛と聞くとナルシストを思い浮かべるかもしれません。ナルシストの方は、不健全な自己愛を持っています。ナルシストは、常に他人と比べて自分がどれ程優れているかを考え、自己陶酔しているのです。

もしかしたら、ナルシストの思いは劣等感の裏返しかもしれません。自分の劣等感を隠し自分を守るために、無意識に「自分はスゴイ」と自分に言い聞かせている場合があります。自己中心的な愛で自分自身をコーティングして守っているのです。

劣等感と自己中心的な愛は、表裏一体の関係にあると思います。自己嫌悪の感情を何とか打ち消そうと、自分を好きになるように自分に言い聞かせる・・・それが不健全な自己愛に発展していくのではないでしょうか。ナルシストの自己愛も自己嫌悪、両方とも、不健全な自己イメージにつながります。

このような自己愛は、自分自身を偽るだけではありません。周りの人たちを自分から遠ざけてしまうでしょう。自分には友達がいないと嘆く方がいますが、その方々の態度を観察してみると必ず偏った自己愛か、また自己嫌悪と劣等感を持っていることに気づかされます。では、このような2つの態度を、どのように私たちは消し去ることが出来るのでしょうか。

自己中心的じゃない自己愛

主イエス様の愛を受け入れ自分を愛する

自分自身を鏡で見て、どのように思いますか。女性であれば「目が二恵であったら、口がもう少し小さかったら、小顔であったら」と思うかもしれません。また男性の中にも、同様に劣等感を持っている人もいるようです。容姿を整形で変えて、多少なりとも自己イメージは改善されるかもしれません。しかし歪なセルフイメージの根は、心にまだ残っています。雑草が知らぬうちに生えてくるように、その根からいつしか不健全な劣等感が生まれてしまいます。

心が変わらなければ、不健全な自己愛は残ります。ところが、私たち人間には問題があります。不健全な心を自分では消し去ることが出来ないという問題です。

健全な自己愛とは何でしょうか。神様によって創造された自分自身を愛すことです。

あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている。詩篇139・13-14 聖書協会

私たち人間は、神に似せられた者として、動植物とは区別されて特別に創造されたのです。誰であろうと、人は神によって愛されています。主イエス・キリストは、その愛を態度で示しまたその御言葉によって言い表しています。主イエス様は、どんな過去を持った人でも愛しておられます。無条件の愛です。

そのままを受け入れてくださる主イエス様

他の人と比較され評価されて育ってきた私たち人間にとって、「無条件に自分を受け入れてくれる方がいる」と信じるのは難しいことです。それでも主イエス様の私たちを招いてくださっています。イエス・キリストの言葉を聞けば、必ずその愛を感じると管理人は確信しています。主イエス様の愛が私たちに語りかけています。「それでいい。そのままのあなたを愛しているのだから」と。

隣人を自分自身を愛するように愛す

主イエス様は、神の戒めの中でいちばん大切なものとして2つを挙げています。「創造主なる神様を心から慕い求め愛す」のが第一の戒めです。第二の戒めとして「隣人を自分のように愛しなさい」と命じられています。この二つの戒めは、人間が精神的に霊的に成長していくのに不可欠です。

神様によって創造された自分自身を愛することができれば、隣人も愛するようにできます。なぜなら、隣人も神様によって創造されているからです。神様がその隣人を愛しているからです。健全な人間関係の原点は、この隣人愛にあります。

隣人愛のサイクルは次のようになります。神様によって創造された自分自身を受け入れる > 創造された隣人を受け入れる > 謙虚に自分自身を愛し、隣人を自分自身のように愛する

人生の道は決して平たんではありません。山あり谷ありの道です。所々に落とし穴があるかもしれません。人間関係も崩れがちな道です。そんな人生の道だからこそ、自己中心的ではない愛を実践して生きていく必要はあるのではないでしょうか。

読者の皆様の上に主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心よりお祈り申し上げます。

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