コンテンツへスキップ 投稿日:2022年5月29日/更新日:2025年2月9日

1テモテ4章が示す教会を養う教え

教会を養う教え

立川キリストの教会の伝道者である福嶋正剛さんが、テモテへの手紙第一4章を教会を養う教えとして解説してくださっています。21世紀クリスチャンに当てはまる非常に役に立つ内容です。

間違った教えによって惑わされてはいけない(4・1~5)

エペソの教会は、間違った教えを説く指導者たちのために、動揺していました。パウロは、彼らの教えを「惑わす霊と悪霊の教え」と呼んでいます。その背後にサタンの働きがあったからです。サタンの目的は、「真理の柱」である教会を倒し、神の真理から、人々を引き離すことにあります。そのためにサタンは、エバを惑わした時と同様に、エペソでも偽りの教えを使いました。これは、サタンの常とう手段であり、得意技です。

3章16節によると、クリスチャンの敬虔の奥義は、キリストです。贖いのわざを完成させた主は、今も教会を通して救いのわざを続けておられます。私たちは、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから」目を離してはなりません(ヘブル12・2)。

エペソの偽教師たちは、結婚を禁じたり、特定の食物を断たせる禁欲主義によって、人々の関心をキリストのわざから、自分たちの行いにそらせていたのです。 禁欲主義や律法主義は、人々からできないことを要求します。それゆえ、ごまかしや偽善が付き物であり、それを教えている教師たちの良心は麻痺してしまいます。イエスは律法主義を教えていたパリサイ人たちの偽善をきびしく非難されました。パウロは、コロサイの教会に入り込んで禁欲主義を唱えていた偽教師たちについても警告を与えています(コロサイ2・20~23)。

神を信じ神に感謝する生活

結婚も、食物も神によって造られた良いものです。人はその真理を受け入れ、神の恵みを信仰と感謝をもって受け入れるべきです。日本人は感謝という言葉が好きで、その大切さも知っています。しかし、誰に感謝すべきかという肝心なことを知りません。その肝心なことを教えてくれるのが、神の言葉と祈りです。御言葉と祈りは、私たちが神との関係を保つために不可欠なものであり、よく食事と呼吸にたとえられます。御言葉と祈りによって導かれる生活が、信仰と感謝の生活であり、敬虔な生活です。

 救いも、成長も、人間の知恵やわざによるのではありません。すべて神のわざによるのです。クリスチャン生活とは、人間らしく生きることです。また、神がそのために備えて下さった良いものを、信仰と感謝をもって、その目的にふさわしく神の栄光のために用いることです。クリスチャン生活は、難行苦行ではなく、恵みです(ヨハネ10・10)。

正しい教えによって養われなさい(4・6~16)

テモテへの手紙第一4章

テモテの使命

テモテの使命は、正しい教えによって、間違った教えからエペソの教会を守ることでした。そのためには、テモテ自身が「信仰の言葉」と「良い教えの言葉」に従い、養われていなければなりませんでした。神の言葉を教える者は、まず神の言葉に教わっていなければなりません。またパウロは、それが生涯継続する過程であると教えています。

テモテは「年寄り女がするような空想話」を避けなければなりませんでした。この「年寄り女」という表現は、その当時用いられていた、ののしりの言葉で、年配の女性に対する非難ではなく、むしろ偽教師たちの教えを指していると思われます。

参照記事 2テモテ1章 パウロの弟子テモテへ 2テモテ2章の解説。伝道者の任務 2テモテ3章の解説。困難な時代を生き抜く 2テモテ4章の解説。信仰から信仰へ

間違った教えに惑わされない霊的な健康

間違った教えによって惑わされない方法は、「信仰の言葉」と「良い教えの言葉」に従い、悪霊ではなく、聖霊によって導かれていることです。私たちが神と共にいる限り、悪魔は、私たちを神から引き離すことはできません。敬虔とは神と共に生きることであり、そのための鍛練とは、神と共に行うトレーニングであり、私たちのトレーナーは神です(ピリピ2・12~13)。

今日、健康あるいは、美容産業が大繁盛しています。パウロは、健康もいくらかは有益だけれども、神と共に行う霊的な健康管理の方がはるかに有益であると教えています。もし、私たちが健康や美容に注いでいるエネルギーや時間や財産を、霊的な敬虔の鍛練に用いるなら、今日の教会の姿は、かなりシェープアップするのではないでしょうか。

 敬虔の鍛練には、この世における豊かな命とそれに続く永遠の命という神の約束が伴っていますが、肉体の健康や美容は何も約束できません。敬虔の鍛練とは、神を信頼して、神に従って生きることを学ぶための、神による訓練です。私たちは、この神のエステ、あいるはトレーニング室に毎日通い続けなくてはなりません。

テモテの働きから学ぶべきこと

「年が若いからといって」という表現は、テモテがその当時の社会の基準では、まだ若かったということを物語っています。恐らく30代の青年であったと思われます。パウロはテモテに、年齢が若くても、言動において成熟した者であるように励まし、聖書の言葉を教えることに専念するように命じています。また、困難な任務であっても、それは主によって与えられたものであり、主がテモテを強めその任務を全うさせて下さることを諭しています。テモテが、教会に教えていることを自分にも教えているなら、テモテの信仰の進歩は明らかになるはずだとパウロは教えています。ダイエットの薬のセールスマンが太っていたり、養毛剤のセールスマンの頭がはげたままでは、困ります。伝道者も、その生活を通して神の教えの効果を示さなくてはならないというきびしい指摘です。否、その教えに養われているなら、必ずその効果が表れるという励ましです。

  それゆえ、テモテは自分自身にも、また教える内容にも注意しながら、教え続けるように命じられています。聖書の教える信仰は、継続する信仰です。バプテスマを受けた者は、天に召されるまでバプテスマの生活、すなわち、神にすべてを委ねる生活を続けなければなりません。信仰によって主を受け入れた人は、死ぬまで、主を信頼し続ける信仰を保たなくてはなりません。「継続は力なり。」という言葉がありますが、継続は救いでもあります(コロサイ1・22~23、1コリント15・1~2)。

立川キリストの教会 福嶋 正剛

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