人生の分かれ道、岐路に立った時、私たちは当然迷います。しかし、クリスチャンは人生の指針があるので迷っても、動じることはありません。キリスト者は、迷った時どのように対処するのでしょうか。
人生は行先のわからない迷路?
「人生は行先のわからない迷路」のように感じたことはありますか。私が20代の時は、まさに暗闇の中を歩いているような感じでした。迷路に入っているように、同じ道を何回も行ったり来たりしていたと記憶しています。
何をしていいのかわからない、調理の仕事を辞めた後、どんな職業についていいのか・・・・。目標も目的も何もない、何のために生きているのかわらないままで生きていました。路頭に迷っていた時期です。人生の指針も何もない状態だったのです。暗中模索していながら何か本物を探していたのも、この時期でした。そこで一念発起してアメリカに単身留学したのです。その話は、別の記事で書いています。アメリカ留学中に主イエス様を知り、クリスチャンになりました。詳しくは、管理人の自己紹介 こんな自分でも、主イエス・キリストに希望を見出すことが出来たのです。
キリスト者は、人生の行き先を知っている
キリストは、人が生きるべき道を示してくれます。道、真理、命が、イエス・キリストにはあるのです。つまり、キリストを信じついて行くと、人生の行き先をしるようになるのです。
人の人生は、風に流され浮いている風船とどこか似たところがあります。どこへいくのかもわからないまま、風のふくままに流されていくのです。
あるいは、パチンコの玉のように、行き当たりばったいの生き方もあります。あっちこっちに跳ね返って、その場その場にリアクションしながら、最後には穴の底に落ちていきます。私自身、こんな人生を送っていたのです。今、思い出しても辛い毎日だったと灌漑深くなります。読者の皆様はどうでしょうか。
人生の岐路にたっても、泰然自若
人生の岐路に立っても、キリスト者はおどおどしたりしません。もちろん、人並みに悩みますが、同時に泰然自若と構えることが出来ます。なぜなら、イエス・キリストの教えが、ガイドポストとしてあるからです。
その教えだけではありません。イエス・キリストは、天にいて生きていらっしゃるのです。この方が、ご自分の霊を私たちに与えてくださり、忠実な弟子であるキリスト者を正しい方向へと導いてくださっています。
自己中心的であり独善的であった私が、今は人を思いやることが出来るようになりました。自分に自信がなく、引っ込み思案な性格の持ち主の私が、今では自信をもって人と話が出来るようになったのです。
読者の皆様は、このような経験はありますか。もしなければ、主イエス・キリストを信じて、大いなる祝福を主からいただいてみましょう。
中田キリストの教会 伝道者 前田文夫