教会に行く聖書的な意味と理由

教会に行く聖書的な7つの意味と理由を解説します。ある牧師先生が、ネット上で「クリスチャンは必ず教会に行かなければならない」と主張しているのを読んだことがあります。しかし、このような考え方自体が、健全といえるでしょうか。プレッシャーをかけるような言葉であれば、強制的な勧誘をするカルトと同じではないでしょうか。

教会に行く聖書的な7つの意味と理由

1.主キリストの約束ゆえに、教会に行きます

主イエス・キリストは、ペテロの信仰告白を聞いた後、ご自分の共同体である教会を建てると約束されました。この教会は、死の世界である陰府の力に対して勝利すると教えられています。陰府の力とは、悪魔の力を象徴的に言い表している表現だと思われます(マタイ16章18節-20節)。

この約束は、地上に生きているクリスチャンたちへの約束です。クリスチャンたちが、教会というキリストの共同体を通して悪魔に勝利するという励ましと戒めが含まれています。教会は、クリスチャンが霊的に強く生きていくために重要な存在です。ですから、クリスチャンが教会に行くのです。

2.天の御国につながる共同体なので、教会に行きます

教会は、地上に生かされているクリスチャンたちの共同体です。主イエス・キリストを中心とした共同体です。しかし、この共同体は、天の御国につながっているのです。天の神につながっているのです。

主イエス・キリストが再臨されるときには、この共同体につどっているクリスチャンたちが集められ天に召されます。主イエス・キリストは、現在も聖霊を通して教会を建てあげ整えているのです。クリスチャンは、この約束を信じているので、教会に行きます。

3.神を礼拝するために、教会に行きます

教会はクリスチャンの共同体ですから、共に神を礼拝します。健全なクリスチャンは日々、個人レベルで神を礼拝しますが、同時にみんなで集まって礼拝します。キリストの共同体は、人生を共に分かち合う場です。主イエス・キリストを信じている仲間がいる、、、そしてその方々と共に神をほめたたえ礼拝している、、、これは素晴らしいことです。素晴らしい仲間、友人たちと共に礼拝できるのは、神からいただく大いなる恵みです。

主イエス様が12人の弟子たちと寝食を共にしたように、クリスチャンは親しい近い関係の中で成長していきます。クリスチャンにとって切磋琢磨する関係は、何事にも代えがたい宝です。霊的に成長する刺激を受けるのです。だからいっしょに礼拝するのです。

4.神の御言葉を学ぶために、教会に行きます

一人でも聖書を学べますが、他のクリスチャンと共に学ぶところに大きい意味があるのです。人生の分かち合いは、神の御言葉を学ぶときにも行われます。聖書に出てくる言葉に対して、どのように感じるかは、人それぞれ違います。人生の経験が違うからです。だからこそ、教会としていっしに集まり、お互いの経験から学ぶのではないでしょうか。

一人で聖書を学ぶことは非常に有益ですが、一人の学びは孤独です。継続するには強い意志が必要です。ところが、教会で信頼し合える仲間と聖書を学ぶとき、クリスチャンはそれだけで励ましを受けるのです。良い刺激を受けて、個人的な聖書を学びの助けになります。

5.神に祈り賛美を捧げるために、教会に行きます

聖書は「お互いに祈りなさい、助け合いなさい」と教えています。個人的に離れた場所でも、お互いに祈ることはできます。しかし、声を聴き顔を見合わせて、お互いに祈るからこそ、心がより通じ合えるというものではないでしょうか。さらに、共に賛美の歌声をあげて、他のクリスチャンとの音のハーモニーも楽しみ、霊的なつながりがより強まります。教会って本当にいいところです。

一人でもクリスチャンは、祈れます。賛美も出来ます。しかし、教会での祈りと賛美には特別な意味があります。キリストの共同体として、クリスチャンたちが祈り賛美するときに、天にいらっしゃる神様はその共同体を祝してくださるのです。神様は、クリスチャンのお互いの絆を強めてくださるでしょう。

6.他のクリスチャンと励ましあうために、教会に行きます

それぞれのクリスチャンは、主イエス・キリストによって、霊的な能力、賜物をいただいています。その賜物をお互いに分かち合わないでは、教会の存在意義がなくなってしまいます。主イエス・キリストを求めている求道者の方にも、この大切な賜物を分かち合うことが出来るのです。このような機会も、教会が与えてくれている贈り物です。

クリスチャンが無人島で暮らしていると想像してください。一人で礼拝し、一人で祈り賛美をして、果たして霊的に成長するのでしょうか。エペソ3章9節-16節によれば、クリスチャンはキリストの共同体の中で、お互いの賜物によって助けられながら成長していくのです。キリストの体から離れてクリスチャンは成長はできません。

7.霊的に成長するために、教会に行きます

信仰は、人それぞれの生き方に現れます。その生き方が証しとなっています。キリストに根を張って生きている人の真摯な生き方を見て、他の人たちも元気をもらいます。そのような誠実な生き方をしてみようと、心が動かされます。健全なクリスチャンは、このような交流を通して霊的に成長していくのです。

クリスチャンは、お互いの人生を分かち合う切磋琢磨の関係の中で成長していきます。教会はキリストの共同体ですが、同時に霊的な家族です。お互いを深く知り合っている家族です。お互いの弱さや重荷を支え合っている共同体です。その家族の礼拝に出席して、霊的に成長するように主イエス様は教会を建てているのです。だから、教会に行くのです。

どうでしたか。教会とは主イエス・キリストを中心として集まる共同体であり、その仲間と共に成長しようとにいる場です。読者の皆様の上に、主キリストの豊かな恵みと憐れみが注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

クリスチャンが教会に行かない理由

参照リンク キリスト教徒は必ず教会に行くべきですか

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