コンテンツへスキップ 投稿日:2022年3月18日/更新日:2023年1月21日

洗礼、バプテスマの3つの意味

洗礼、バプテスマの3つの意味を解説します。何が神の御心でしょうか。教派によって解釈の違いがあるテーマです。1.神が制定したバプテスマ、2.バプテスマとキリストの十字架の関係、3.バプテストとキリストの復活の関係、4.真のバプテスマは神の働き。

神が制定したバプテスマ

バプテスマが、神によって制定されたということを、まず最初に説明します。バプテスマは、人間が造り出した儀式ではありません。作者は主なる神様です。

聖書が教えているバプテスマには、その行いに霊的な意味があります。象徴的な意味があります。たとえば、水は神が罪を取り去る清めを象徴しており、受洗者の心の清めを象徴しているのです(1ペテロ3章21節)。水の象徴も神の業なのです。その他の象徴的な意味は、後で説明します。

洗礼、バプテスマの3つの意味

バプテスマのヨハネは、神の命令によってユダヤ人たちに悔い改めのバプテスマを授けていました。主イエス・キリストの宣教の準備のために、バプテスマを授けていたのです。神がヨハネに与えたミッションは、人々が神の子イエス・キリストのことばを聞くようにするための心の準備をすることでした。このようにバプテスマは、人間が作り出した儀式ではないことがおわかりになるでしょう。(マルコ1章2節ー8節)

主イエス様が命令したバプテスマ

ヨハネはバプテスマを授けてはいましたが、クリスチャンのバプテスマとは違います。 クリスチャンのバプテスマはイエスの名によって授けられ、その結果、受洗者は聖霊と罪の赦しを受けるのです。イエスは、十字架の上で死んで埋葬され、3日目によみがえります。そのよみがえった後に、イエスは弟子たちに大宣教命令を与えます(マタイ28章18節-20節)。

  • 天地におけるすべての権威が、主イエス・キリストに与えられてる。
  • すべての人たちにキリストの教えを教え、キリストの弟子にする。
  • 教えた人々に父と子と聖霊の名によってバプテスマを授ける。
  • そしてキリストの教えのすべてを守るように戒める。
  • 世の終わりまで、キリストは弟子たちとともにいると約束されている。 

この命令に示されているように、バプテスマは神によって制定されているのです。では次に、バプテスマの意味をキリストの十字架と復活に関連付けて説明します。バプテスマの3つの意味を解説します。

バプテスマとキリストの十字架の関係

主イエスは弟子たちに次のように尋ねます。「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受けるバプテスマを受けることは出来るか」と。主イエスの杯とバプテスマは、十字架の死を象徴しています。主イエスは、「肉体的に十字架にかけられ死ねるか」と聞いているのでしょうか。そうではありません。主イエスは、ただ一度、私たち人間の代わりに死んでくださったのです。

クリスチャンは、主イエスの十字架の生き方に倣い、主イエスと共に生きていくことが求められているのです。バプテスマは、神が定めているクリスチャン人生の出発点です。単なる儀式として、見過ごすものではありません。イエス・キリストを人生の師として信じた人は、水の中に入り主イエスと共に象徴的に死ぬのです。

バプテスマとキリストの復活の関係

バプテスマは、主イエスの十字架の死を象徴しているだけではありません。主イエスの復活も象徴しているのです。信仰告白した人が、水の中に全身が浸かり霊的に死んだ後、水から上がり霊的に復活するのです。主イエスの十字架と復活が、クリスチャンの人生において成就される出発点です(ローマ6章3節ー4節)。

キリスト者の人生の出発点は、キリストの復活を経験するバプテスマです。この時から死ぬ時まで、日々十字架を負い生き続けるのです。ゴールは神の御国です。主イエスは、再臨の時に信仰をもった者たちを神の御国に招き入れます。

真のバプテスマは、神の働き

人は主イエスの言葉を聞き主イエスを信じて、信仰によってバプテスマを受けます。しかしもし信仰がなければ、プールに入って水に浸かったのと同じです。信仰によるバプテスマに、神は働いてくださるのです。バプテスマは、信仰をもった人の行い過ぎないと考える人もいますが、そうではありません。神は、信仰によってバプテスマを受けた人を祝福してくださいます。霊的に罪で死んだ体を、霊的に復活させてくださるのです(ローマ8章11節)。

自分を捨て、日々、十字架をに負って生きていクリスチャンの生き様そのものを、バプテスマは象徴しているのです。主イエスの名によってバプテスマを受けた人は、日々バプテスマを受けているかのように、十字架と復活の生き方を実践していくのです。


結論  

以上、聖書が教えるバプテスマの意味について解説しました。教派間では様々な解釈が存在します。オープンな心で聖書を基に、この記事が正しいかどうかを精査してみてください。吟味をお願いします。ご質問などありましたら、コメント欄または問い合わせからお願い申し上げます。

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