聖書は科学的に正確なのか

聖書は科学的に正確なのか。誰もが思う疑問です。科学の世界観と聖書の世界観は、どのような関係にあるのでしょうか。聖書がすべての真実、真理を語っており、科学が聖書にやっと追いついてきたと主張する人たちがいます。その逆に、聖書はまったく非科学的であり、多くの矛盾があるという人たちもいます。科学と聖書の関係を問いかけます。

聖書は科学的に正確
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科学の世界観、歴史観

科学は、わたしたちが住んでいる世界、宇宙、また人間自身を学び、その中に法則を見つけ、その仕組みを理論的に学ぶ学問です。人は、科学によって、世界と宇宙と自分自身を理解しようとしています。事実、科学の発達によって、私たちは多くの恩恵を受けています。だからといって、私たちはこの宇宙と世界の仕組み、自然の仕組みをすべて理解しているでしょうか。

現代の歴史学は、歴史を科学的な目でとらえています。歴史学者の第一の目的は、何がどのようにどこでいつ起こったかを、起きた年代順に従って説明していくことでしょう。

第二の目的は、歴史を解釈していくことです。歴史学者にとって年代順序は、何が起きたかと同じぐらい重要なことです。なぜなら、それによって歴史の解釈が違ってくるからです。

このように歴史学と同様に、すべての科学分野は、正確さが要求されます。実験にしろ論文にしろ、正確で緻密なデータによって論じられるべきです。その正確さがなければ、科学と呼ぶにはふさわしくないでしょう。

しかし、科学自体にはモラルは存在しません。物理学、化学、生物学、地質学でも真理の追求という点については、モラルは関係ありません。しかし、人間としてのモラルはついてまわるものです。動物実験は適切な方法で行われれば、モラル的に許されます。しかし、人体実験は許されません。

聖書の世界観、歴史観

一方、聖書は、神によって創造された世界と宇宙の目的と人間の存在の目的を啓示した書です。聖書は科学的観点から書かれていません。旧約聖書には、古代メソポタミア文化の背景があります。旧約聖書は、その特殊な文化のなかで、古代イスラエルの人々に与えられた神の啓示の書です。

一方、新約聖書は、神が主イエス・キリストによって成就した新しい契約の書です。旧約聖書は、旧い契約の書です。聖書は、この2つの書、旧約聖書と新約聖書から成り立っています。いずれも科学の書としては、書かれていないのです。

現代の歴史観が、年代を追って直線的に記録されていくのに対して、聖書が書かれた頃の歴史観は大まかでした。正確な日時、日付を記録する習慣はありませんでした。歴史的な史実を記録していく場合、正確さは現代科学や歴史学では重要ですが、古代の世界観、歴史観ではそれほど重要ではなかったのです。

このような文化の中で、神は数千年の間に神の御心を啓示されました。啓示を受けた人々は、時間的な正確さではなく、神の啓示を正確に記することを重要視したのです。ですから聖書の記述が、現代科学の目から正確ではないと映るのは当然のことです。

聖書の世界観は、「神が天地万物を創造した」から始まります。神は、天地万物を創造しただけでなく、今も全宇宙を支配し動かしているのです。すべての物が目的をもって創られており、人間もその中に含まれています。

人間は、神に似せられた者として創造され、この地上で生かされています。しかし、人間は自ら「神に似せられた者」というIDを捨て、自分の思うままに生きようとしています。人間の思うがままの生き方を、聖書は人間の罪と定義付けています。この罪ゆえに世界は混迷を深めています。これが、聖書が語る世界観です。

結論 聖書と科学の関係

ここで聖書と科学の関係を箇条書きにまとめてみます。

  • 聖書は、天地万物を創造された神の聖霊によって導かれた人々によって書かれた書物です。この唯一の神はこの天地万物を支配し、人間の科学を越えた方です。
  • しかしながら、聖書は現代科学の観点から書かれていません。そのために、人間的な目からすると矛盾に写ることもあるかもしれません。でもそれは科学も神の支配化にあるわけですから、本来、矛盾ではありません。
  • もし聖書と科学の間に矛盾があるとすれば、私たちの聖書の解釈が間違いであるか、自然科学の解釈が間違いであるかのどちらかです。
  • 聖書と科学は対立するものではありません。私の友人は、米国のハーバード大学(Harvard University)で生物学を学んでいます。彼は心から生ける神を信じています。その他、多くの科学者がクリスチャンである事は知られています。
  • 人は神によって考える頭脳と探究心を与えられました。その探究心によって、人は自然科学を発達させたのです。現代に生きる私たちは、この科学の恩恵を毎日の生活で受けています。
  • さらに人は地球と人間の起源について興味を持ち探求したのです。太陽系がどのように生まれたのか、地球はどのようにうまれたのか、人間はどのように今のように発達した頭脳を持つようになったのか、などの疑問を持ち探求しました。しかし、これらの疑問に答えてもそれは推測にすぎません。はっきりと断定できる科学者はいないと思います。  
  • 聖書は次のように言っています。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」(申命記29:29)
  • 聖書は、科学的見地から地球や宇宙の起源について語っていません。ビック・バンなどのようなセオリーにせよ、またはどんなセオリーにせよ、それは推測でしかないのです。それは神の領域です。
  • 繰り返しますが、私はここで科学の重要性を否定していません。むしろ、科学は神の創造のわざをもっと明らかにしてくれます。しかし、科学の力で計り知れない領域、つまりそれは神の領域であると主張しているのです。

いかがでしたか。聖書と科学の関係、聖書の世界観と科学の世界観について、どのようにお考えでしょうか。聖書理解にお役にたったでしょうか。自分の意見やご感想など、コメント欄に書いてみましょう。

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