管理人の20代の時の人生は、たとえて言うならば、行き当たりばったりのパチンコ玉人生でした。私のような再生不可能な人間でも、主キリストによって再生されました。その経緯を説明してみます。自分の職歴や学歴を書いた記事もあります。
パチンコ玉人生
パチンコ玉人生とは、パチンコ玉が釘に当たり跳ね返り、徐々に下に落ちていき最後には流されてゴミになっていくような、夢も希望もない人生です。自分が行きたい所もわからず、行く先は「釘に聞いてくれ」としか言いようがない悲しい空しい人生でした。つまり、何の指針もない、目的や目標もない、行き当たりばったりの人生でした。
パチンコ玉人生をやってる本人は、自分がそんな空しい生き方をしているなんて気が付きません。自分なりに懸命に努力していたつもりでした。ちょうど壊れている自転車に乗っているようなものです。自転車のペダルを踏み続けますが、前に進んでくれません。逆に、後ろに下がっているような感じです。ペダルもすごく重く感じるのです。だから、何をやってもうまくいかないのです。
行き当たりばったりの人生は、結構疲れます。パチンコの玉が、あちこちに当たります。玉が釘に当たるたびに、生身の人間は傷を負っていきます。パチンコ玉が徐々に下っていきますが、生身の人間は下に行くにしたがって重荷も増してきます。自分が奈落の底に落ちていくのを実感するのもこんな時です。
パチンコ玉人生を歩む人は、それなり努力をします。しかし、実際は、行き当たりばったりの習慣は直っていませんから、自分の力でもがけばもがく程、下に落ちていくのです。ではどうすればよいのでしょか。管理人の場合は、主イエス・キリストに希望の光を見出しました。
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キリストの道を求めて
どんな過去をもった人でもどんな悪い習慣をもった人でも、人はキリストによって変えられます。ある人は過去を悔いて過去に生きています。悔やんで悔やみ続けて、時間がそこで止まっている状態です。このような人は、世間を怨み他人を怨み、自分がこの世で一番不幸な人間だと思っているかもしれません。世界中の不幸を自分一人で背負っているのです。最初から出直したいと思っていますが、それもできないでいるのです。「時間を返してくれ」と心の中で叫んでいる人たちです。
しかし、管理人には過去を悔いている暇はありませんでした。すぐさま、主イエス・キリストに助けを求めたのです。信仰の道に行くために、管理人はここでも結構遠回りをして紆余曲折を経験しました。それもこれもすべて主イエス様の導きだと信じております。
人生再生は主イエス・キリストにしかできない
この世の中には、人生再生の観点で言えば4種類の人間がいるように思えます。一番目は、自分の人生に多少なりとも迷いはあったとしても、人生再生など必要ないと思っている人たちです。2番目は、管理人のようにパチンコ玉人生を送って、人生再生したいのだけれども、どこに行っていいかわからなくて迷っている人たちです。3番目は、人生再生を他の宗教や趣味に見出した人たちです。最後の4番目は、主イエス・キリストに助けを求めて、主キリストに光を見出した人たちです。
管理人は、主キリストを受け入れない人たちを否定するつもりなど毛頭ありません。ただ確信を持って言えることは、主イエス・キリストが教える人生の生き方は、すべての人間にぴたっと当てはまるように思います。本来の人間の姿の生き方が示されています。私たち人間の創造主なる神との関係を持ち、隣人を自分のように愛するように、すべての人間は創られているのです。
もし読者の皆様が、現在、管理人のようなパチンコ人生を生きているのなら、ぜひ主イエス・キリストが教える生きる道を学んでみてください。後悔はしませんことをお約束いたします。
過去様々な負の思い(主に人への不満や不信、被害者意識、責任転換その他)のゴミが溜まり・固まり、ガチガチの状態でした。長年どう考えたら良いのか、何が真実なのかを漠然と探していました。ある時クリスチャンの同僚から聖書をプレゼントされ読む機会がありました。読んで行くうち様々な誰かへの負の思いから、神さまを無視し罪だらけに生きている自分に焦点が。その後主イエスが我が主となってくださり、今日も私を解放してくださいます。
共感できます。多かれ少なかれ、みんな人生の途中で、余計なゴミを拾ってきてしまいます。それがいつもまとわりついている感じです。取り払っても、取り払っても、またくっついて来ちゃいます。それを完全に取り払ってくださったのが、主イエス・キリストですね。感謝します。