コンテンツへスキップ 投稿日:2022年2月19日/更新日:2025年1月18日

エペソの手紙の著者と受け手

エペソの神殿

エペソの手紙の著者と受け手の解説します。エペソの手紙の解説・注解をシリーズとして、当サイトにアップしていきます。

エペソの手紙の神学的重要さ

エペソの手紙は、わずか六章しかない短い手紙ですが、その神学的な内容は濃密です。改めて、この手紙の内容の重大さに気がつかされています。新約聖書の書物の中に上下関係や優劣はありませんが、エペソの手紙は、教会の神学に多くの影響を与えたのは間違いありません。

著者

2世紀の原始教会の指導者たちは、エペソの手紙がパウロに書かれたという点で一致しています。(イグナチオ、エイレナイオス、ポリュカルポス)。ところが近代に入ると、多くの学者たちがそろって「パウロの著書問題」として疑問を投げかけ始めました。そのいくつかの理由を、ここで挙げてみます。

パウロが著者であることを疑う理由

  1. パウロの他の手紙は、ある特定の教会、あるいは人物に宛てて書かれています。随所に手紙の目的、意図が明確に記されています。しかし、エペソの手紙にはその特徴が見られません。この問題は、エペソの手紙が書かれた背景を考察して解決する必要があります。
  2. エペソの手紙は、他の手紙のギリシャ語と違ったスタイルで書かれている、と指摘されます。確かに、多少の違いはありますが、その違いはパウロのどの手紙にも見られることです。パウロが著者でないという証拠には、なりえません。
  3. エペソの手紙は、コロサイの手紙と内容が似ていることも指摘されます。偽者がコロサイの手紙を読んで、まねてエペソの手紙を書いたのではないかという疑問です。確かに内容は似ているますが、大きな違いがあるのも事実です。コロサイの手紙は、「イエス・キリストの権威とクリスチャン生活」を強調しています。一方、エペソの手紙は、「神の計画における教会とクリスチャン生活」に焦点を当てています。
  4. エペソの手紙の神学的強調点が、パウロの他の手紙と違うと主張されます。しかし、この論点は非常に弱いです。なぜなら、それぞれの手紙が、違った教会または人たちに違った目的で書かれているからです。エペソの手紙の神学的強調点が他の手紙と違うのは、当たり前なのです。

著者問題の結論

2世紀の文献が証言しているように、パウロがエペソの手紙を書いたのは間違いありません。読者の皆様は、エペソの手紙を読むことにより、多くの深い神学的な恩恵を受けます。ごいっしょに読んでいきましょう。

さらに、パウロの他の手紙(ローマの手紙、第一、二コリントの手紙など)を合わせて読めば、パウロが主張する主イエス・キリストにある恵みの全体像が明らかになり、多くの祝福に満たされます。

手紙を受け取った人々

写本から考えられる「エペソの教会への手紙ではない可能性」

手紙を書いたのはパウロであると結論づけましたが、手紙の受取人の問題は、少し難解です。エペソ1章1節には「忠実なエペソの聖徒たちへ」と書かれていますが、現存するもっとも信頼できる古い三つの写本(シナイ、ヴァチカン、チェスター・ビーティー・パピルス)にはエペソという単語はありません。しかし、他の大多数の写本には「エペソ」が含まれています。写本の数の多さから、伝統的にこの手紙は「エペソの手紙」と呼ばれてきました。 [mfn]新約聖書には数千の写本が現存しており長い年月の間に手書きのコピーがされてきた。それらの写本間に違いがあるのは、様々な理由が考えられるが珍しい話ではない。[/mfn]しかし、近代の大多数の学者たちは、古い三つの写本に「エペソ」と書かれていないがゆえに、この手紙は教会間でまわし読みされるようにと書かれたのではないかと推測しています。確かに、この推測には説得力があります。

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手紙の文脈を考察してみる

パウロは、エペソで三年間宣教活動を行っています。(使徒19章1節―20節)。このことからも、パウロはエペソの教会の状況を詳しく、熟知していたでしょう。にもかかわらず、この手紙には、エペソの教会の兄弟姉妹に宛てているという証拠は皆無に近いのです。エペソの教会の状況や情報は、まったくありません。

兄弟姉妹の名前さえ、パウロは挙げていません。この事実を、他の手紙、たとえばローマの手紙の内容と比べてみましょう。ローマの手紙も、エペソの手紙と同じように「神学大綱」のような特質をもっていますが、ローマ書全体には、パウロのローマ教会の人々への熱い思いが伝わってきます。ローマ16章では、一人一人の名前を挙げて挨拶を送っていますが、エペソではそのような挨拶がいっさい見当たりません。

パウロが、紙を受け取った一人一人を、個人的に知っていたかどうかは疑問です。受取人の大まかな信仰的な背景、たとえば異邦人クリスチャンであったという程度しか書かれていません(1章15節、3章2節、4章21節)。この意味では、パウロはどのような人たちにこの手紙を書いているかを承知していたことになります。しかし、1章15節を読むと、パウロは彼らの信仰を聞いていたのであって、彼らに福音宣教したのではないことがわかります。

では、エペソの手紙は、どのような背景で書かれたのでしょうか。次の投稿では、エペソの手紙の背景を考えてみましょう。

エペソの手紙

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