偽預言者に警戒せよ

偽預言者に警戒せよ。マタイ7章15-20節から、主イエス・キリストの戒めについて、いっしょに考えてみよう。

偽預言者、偽教師に警戒せよ

偽預言者、偽教師とは、他の宗教を指しているのだろうか。それともキリスト教の中にあるカルト的団体を指しているのか。または、一般のクリスチャンの中にいると教えているのか。どのように偽預言者を見分けるのか。もしある人が偽預言者だと思ったら、どうすべきなのか。

偽預言者に警戒せよ。マタイ7章15-20節

この世の中には、確かに偽預言者、偽教師がいる。しかし他の宗教について、イエス・キリストは警告しているのではない。キリスト教の中にいるのだ。カルト的なキリスト教団体を指しているのだろうか。そうでもない。使徒パウロが、エペソの長老たちに話した言葉を思い出してみよう。「長老たちの中から、羊の皮を着た狼なる偽教師が現れる」とハッキリと明言している(使徒20章28節—30節)。

偽預言者、偽教師は、教会の外からやって来るのではない。教会の中から生まれてくるのだ。教会のリーダーたちが、悪魔であるサタンによってだまされ、堕落してしまう。その人たちが、偽教師になって、クリスチャンを騙す、と主イエス様は警告している。

使徒パウロは、「サタンがこの世の光として現れる」と言っている(2コリント11章14節)。悪魔であるサタンによって、利用されている人たちが、キリスト教の中にはいるのだ。まさに、羊の皮をかぶった狼である。表面上は、良い教師に見えるが、言葉巧みに人々をだましていく。偽預言者、偽教師についての警告は、今も生きている。私たちは、警戒しなければならない。

どのように偽預言者、偽教師を見分けるのか

「偽預言者、偽教師に気をつけなさい」と警告されているが、どのように偽預言者、偽教師を見分けることができるのだろうか。またどのようなことに、注意したらいいのだろうか。簡単なことではない。なぜなら私たち人間は、聞きたいことを言ってくれる人に引き付けられるからだ。2テモテ4章3-4節

偽教師の行い、パーフォーマンスに引き付けられてはいけない。主イエス・キリストは、このようなパーフォーマンスする人について、警告している。マタイ7章21-23節。

私たちは、超自然現象である奇跡に目を奪われやすいが、奇跡はその人が本物の神の人かどうかの基準にはならない。主イエス様は、マタイ24章23-26節で同様に警告している。事実、終わりの時には、多くの偽預言者、偽教師が現れて人々を惑わすのだ。偽キリストも出てくる。「メシヤがここにいる。いや、こっちにいる」と聞いても、信じてはいけない。実際に今現在、「主キリストの再臨が近い、近い」と言って、クリスチャンたちを煽っているキリスト教団体がある。そのような言葉に騙されてはいけない。主の再臨は、いつ来てもおかしくないのだから。いつも心を引き締めて、信仰生活を歩む必要がある。

ではどうすれば、偽教師にだまされずに、最後まで信仰を守り、天の御国に行くことができるのか。主イエス・キリストが再臨する時まで、3つのことをやる必要がある。

1.偽預言者、偽教師をその実で見極める

まず第一に、偽預言者、偽教師を実で見極めなければならない。神様の愛が実践されているかどうか。人間の愛ではなく、神様の愛が実践されているかどうかが大切だ。しかし愛だけでは、私たちはだまされてしまう。なぜなら、カルト宗教の団体でさせ、愛は実践されているように見えるからだ。

次に、神様の正義が実践されているかどうかを、見極めてみよう。クリアーなコミュニケーションが行われいるか。その牧師が言っていることに、裏表はないか。偽善はないだろうか。これらを注意深く見ていく必要がある。

そして、主イエス・キリストだけが、私たちの人生の主、人生の先生としてあがめられているかどうか。主イエス・キリスト以外は、みんな兄弟姉妹だ。教会の中に上下関係があってはならない。もし明らかな上下関係があれば、それは偽の教会と言っても過言ではない。

2.神様の御心が教えられ、御心が行われているかどうか

第二に大切なことは、その教会が聖書全体から神様の御心を忠実に教えて、御心が行われているかどうか。偏ったことを教えてないか。毎週のように同じトピックばかり話している教会は、要注意ではないか。

主イエス様は、神様の御心としていろいろ教えた。神様の愛、憐れみ。すべての人間が、神様の裁きを受けることも教えられている。目に見えない聖霊の働きもあれば、物事を深く考え理解することも、求められている。どれ一つとして軽んじられてはいけない。

もちろん、教えられた御心が、実践されているかどうかも、100%重要なことだ。私たちは、神様の御国と義を求めているだろうか。神様の御心には、私たち人間にはまだまだ分からないところがたくさんある。知らない部分がたくさんある。

牧師一人に頼っている教会は、極めて危険だ。その牧師がこけたら、教会メンバー全員がこける。みんな躓いてしまうのだ。一人の牧師に頼ることほど危ういことはない。一人一人がチェック機能を働かせて、みんなが一緒に成長していくのが、本来の教会の姿だからだ。だから、教会メンバーには、それぞれ賜物が与えられている。お互いに成長するための賜物である。

3.自分自身が偽クリスチャンにならないために、人を裁かない

最後に、自分自身が偽クリスチャンにならないためにも、人を裁かないことだ。私たちは、主イエス・キリストが教える通り、人を裁いたりしてはいけない。偽教師について気をつけても、それは人を裁いても良いという意味ではない。偽教師に気をつけなさいという名目のもとに、この裁きの波に乗ってしまうのは、非常に簡単な事だ。

人を裁く前に、自分を正す必要がある。自分が偽クリスチャンになっていないか、自問自答してみよう。神様の御心を求め、実践しているだろうか。ある人たちが、偽教師になる理由は、彼ら自身が自己吟味をやめてしまうからだ。自己研鑽を忘れてしまう。「自分は正し。他のグループは間違っている」と思い込んでしまうからだ。このような人は、自分が偽教師の可能性があるということも考えない。

結論

偽教師は、自分が偽教師であるという事実にも認識していないのだ。まったく大まじめに、自分たちの教えを説いている。偽教師と自認しているとカルトグループのリーダーは、いるだろうか。100%いない。カルトグループ以外のキリスト教の中にいる一般的な偽教師も同じだ。私たちも何ら変わらない。だから自己研鑽、自己吟味が必要なのだ。

偽預言者、偽教師の実は、いずれ明らかになる。その時まで、私たちは人々を裁いてはいけない。ただ警戒するのだ。信仰によって、この人生を歩まなければならない。聖霊の力によって自分自身を磨き、神様の愛を実践できるように、日々祈ってみよう。

狭い門から入りなさい。マタイ7章13-14節

2 comments

  1. アーメン。深い学びです。感謝します。御霊のことは御霊によってのみわきまえるものと御言葉にあり、御心に従うには常に祈りを持って神の知恵と聖霊に導かれる必要があるのだと改めて思いました。今日も御霊にあって生きれますよう、主の助けを祈り求めます。

    1. キリスト教世界は、人の自由を認めますから、いろんな人が違ったことを言ってもOKです。だから、余計に迷ってしまいやすいとも言えます。少しでもお役にたてれば、うれしいです。

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