テモテへの手紙第二4章1節-8節

テモテへの手紙第二4章 の解説。信仰のバトンタッチ

テモテへの手紙第二4章の解説です。立川キリストの教会の伝道者である福嶋正剛さんに、寄稿していただきました。

神の御前における伝道者の仕事

2テモテは、テモテを励ますために書かれた手紙である。3章でパウロは、テモテが御言葉を守り、また、御言葉に支えられながら、困難な時代を生き抜くように励ましている。 この手紙の最後の章でパウロは、今一度テモテの伝道者としての任務を確認する。

4章1~5節は、伝道者の就任式に読まれるのふさわしい個所である。また伝道者が生涯を通して繰り返し読むべき個所でもある。サンセット伝道者養成学校で学んだ時、私たち学生は、リチャード・バゲット先生(戦後茨城地区で活躍された宣教師)から、牧会書簡を毎週読むように勧められた。「神の御前で」という表現は、福音伝道が神からの命令であることを思い起こさせる。パウロはテモテの前から姿を消してしまうことになる。しかし、テモテは神の前で伝道者として働いていることを忘れてはならなかった。どんなに素晴らしい人間関係も地上においては一時的なものである。神との関係だけが永続する関係である。

この世には二種類の人間しかいない。それは「生きている人と死んだ人」である。主はその両方をさばく。人間が恐れるべき方はひとりしかいない。それはすべての人を正しくさばく主である。主の前においてすべては明らかである。主は偽教師をさばかれる。

使徒パウロが、テモテに託した任務

テモテの任務は、御言葉を宣べ伝えることであった。この御言葉とは、神がパウロを通してテモテに委ねた神の言葉である。テモテは御言葉によって、人々を「教え、責め、戒め、勧め」なければならなかった。この世には流行がある。しかし、神の言葉を流行に合わせようとしてはならない。確かに、神の言葉を現代人に分かり易く語る必要はある。しかし、私たちが心配すべきことは、神の言葉が現代に通用するかどうかではなく、現代人が神に「通用」するかどうかである。神の言葉をさばくのは人間の仕事ではない。神の言葉が人間をさばくのである。テモテも人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせるように御言葉を宣べ伝えなければならなかった。

パウロは、その良い手本をテモテに残して行く。パウロは自分に与えられたコースを走り抜いた。パウロはさばきを恐れていない。かえって義の栄冠を受けることを楽しみにしている。誰でも主の現われを慕っている者はその栄冠を受けられる。テモテが恐れるべきものは、この世の人々ではなく、主であり、目指すべきものは、この世の誉れではなく、神からの栄誉であった。パウロは、自分の走るべき道程を最後まで力強く走り抜いて、テモテにバトンを渡そうとしている。否、正確には、テモテはすでにパウロからバトンを受けている。福音のバトンは、次の走者に渡しても、自分のバトンはなくならない。私たちは一人でも多くの人々に福音を渡しながら、走り続けなければならない。ゴールインしたときに、主がそのバトンを勝利の栄冠と交換して下さる。

パウロがこの手紙を書いたのは、テモテを自分のところに呼ぶためである。航海ができなくなる冬になる前に、寒さをしのぐための上着と書物を持って来るように頼んでいる。しかし、間に合わない場合もある、その時には、この手紙がパウロがテモテに残す最後の言葉になる。

対照的なデマスとマルコ

パウロは、手紙の結びの部分で、同労者たちの近況を簡単に伝えている。その中には悲しいニュースもある。「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまった。」という知らせである。デマスの以前の活躍は、コロサイ4:14、ピレモン24にも窺える。聖書に名を残すほどの働き人であったデマスがこの世を愛したために、神のわざから離れてしまった。この世は、私たちの愛の対象としてはふさわしくない。聖書は、私たちの愛の対象としてふさわしいのは、神と隣人だけであると教えている。ここから何を学ぶか。信仰は常に進行していなければならない、また、成長していなければならないということである(2ペテロ1:5~11)。

デマスとは対照的にマルコに関してはうれしい言葉がある。パウロはテモテにマルコを伴って来るように頼んでいる。今のマルコはパウロの務めのために「役に立つ」からである。第一宣教旅行中に何らかの理由で挫折してしまったマルコをパウロは第二宣教旅行に連れて行くのを拒んだ(使徒15:36~40)。しかし、その間マルコは、失敗を乗り越えて成長し続けた。また、パウロもそのことを謙虚に認めている。サタンは、常に私たちをつまずかせようとする。しかし、主は私たちを救い、守り、ご自分の御許まで導いて下さることができる。

使徒パウロの信仰

パウロは、自分を苦しめたアレキサンデルに対するさばきを主に委ねている(ローマ12:7~21)。また自分を見捨てた人々がさばかれないように祈っている。パウロの寛大な心はキリスト御自身の精神である(ルカ23:34)。すべての人々に捨てられた時にも、主はパウロと共にいて下さった。主はパウロを用いてご自分をわざをなし、また悪のわざからパウロを守り、天の御国に救い入れて下さる。主は同じ事をテモテにもして下さる。テモテが伝道者の仕事を全うするために必要なのは、神の力であり、神の守りである。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。