立川キリストの教会の福嶋正剛伝道者に、テモテへの手紙第一1章の解説を寄稿していただきました。この寄稿で序論としてして、福嶋伝道者はパウロが1テモテを書いた背景と目的を説明しています。
パウロは、第二伝道旅行の際にエペソに立ち寄り(使徒18:19~20)、第三伝道旅行の時には三年間そこで伝道しました(使徒20:31)。第三伝道旅行の帰り道で、パウロは、エペソの長老たちをミレトに呼んで、彼らの任務を確認し、また偽教師たちに関する警告を与えました(使徒20:29~30)。パウロのその警告が現実となり、偽教師たちの間違った教えのために動揺していたエペソの教会に宛てて、この手紙は書かれたものと思われます。
パウロのあいさつ
この手紙は、当時の手紙の形式に従って、差出人から受取人へのあいさつから始まっています。パウロの手紙の書き出しや、それに続く祈りには、しばしば、その手紙の目的と主旨が反映しています。パウロの「私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、キリスト・イエスの使徒パウロから」というあいさつの中に、エペソの問題の解決策が、すでに示されているようです。エペソの教会は、その救い主が神であり、その望みがキリスト・イエスであり、また、その従うべき教えが、神の権威に基づいた正しい健全な教えにあることを、この手紙を通して学びます。
パウロは、ここで自分の使徒としての権威を強調していますが、これは、自分のためではなく、パウロの使者として派遣されていたテモテの権威を明確にするためのものです。この手紙はテモテだけが個人的に読んだのではなく、公にも読まれたはずです。エペソの教会は、パウロの使徒の権威のゆえに、テモテの教えに従わなくてはならなかったのです。
間違った教えに対処
パウロは、エペソでテモテと共にある期間働いたようですが(1:3)、エペソの教会が直面していた問題の解決をテモテに委ねて、マケドニアに渡りました。その問題とは、ある人々が「違った教え」を説いていたということです。この間違った教えは、「空想話」、「系図」、また「律法」に関するものでした。
神の正しい教えの目的は、「信仰による神の救いのご計画の実現」であり、また、その目標は、「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」です。愛は、神が私たちから求める最高の徳であり(マタイ22:37~40、1コリント13)、また、御霊の実でもあります(ガラテヤ5:22)。この愛は、「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰」から出て来るものであるとパウロは教えています。これらは、神と共に歩むための条件でもあり、また、その結果受ける賜物でもあります(1ヨハネ1:7~10)。私たちが、光である神と共に歩むためには、自分の心の中の偽りを捨て、罪を告白し、赦され、常にきよめられた心を持つしかありません。クリスチャンは、良くならざるを得ないのです。まさに、「主と交わるものは、主のようになる。」ということわざの通りです。主と交わりを保つ者は、愛である神のご性質にも与るようになります。これは、私たちの内でなされる神のわざです。エペソの間違った教えは、この神のわざを妨げていたのです。
問題の教師たちは、神の救いの計画の目的を見失っていました。神の教えを教える教師は、まず神からよく教わっていなければなりません。それらの教師たちは、神の律法を誤って用いていました。人は律法によっては救われません。私たちは、救い主である神によってのみ救われるのです。その救いをもたらしたのがイエス・キリストであり、その良き知らせが福音です。福音が明らかにされた今、律法もイエス・キリストの福音の光に照らし合わせて理解し、用いられなければなりません。神のわざが私たちの内になされ、私たちが愛によって生きるなら、私たちは律法を全うします(ローマ13:8~10)。
参照記事 2テモテ1章 パウロの弟子テモテへ 2テモテ2章の解説。伝道者の任務 2テモテ3章の解説。困難な時代を生き抜く 2テモテ4章の解説。信仰から信仰へ
パウロと福音
パウロはこの福音を委ねられたのです。また、パウロ自身もこの福音によって救われました。福音によると、すべての人が罪人ですが、神はどんな罪人でも救うことができます。パウロは、自分がその証拠であると言っています。
イスラエルが神の民として選ばれた目的は、他の国々に神の栄光とその救いの素晴らしさを示すためでした。しかし、イスラエルはその目的を忘れてしまったのです。キリストの教会の目的も、「祝福に満ちた神の栄光の福音を」この世の人々と分かち合うことです。クリスチャンとして、人々の手本となることは難しいことです。(パウロのように神の恵みによってそうありたいものですが。)しかし、手本になれなけば、せめて「こんな私でも神は救って下さった」という神の恵み見本でありたいものです。パウロは、自分を救ったキリストの福音を語る時には、かなり興奮したようです。ここでも手紙の途中で、思わず神を賛美しています(1:17)。
問題のリーダーたちの懲戒 正しい良心と信仰を守る者の内には、神のわざが全うされます。正しい良心を捨てるなら、神との交わりを保つことはできません。人は、自分をごまかし、人をごまかすことができても、神をごまかすことはできません。ここに、ヒメナオとアレキサンデルという二人の偽教師が名指しで出ています。この二人は、ミレトでパウロに呼ばれ、警告を受けた長老たちの中にいたのでしょうか。「サタンに引き渡す」とは、その二人を教会から除名することを意味しますが、目的は、その二人の悔い改めと救いにあります(参照。1コリント5:1~5、9~11、2コリント2:5~11)。