テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 1章の解説。

テモテへの手紙第二 1章の解説です。立川キリストの教会福嶋正剛伝道者がわかりやすく解説しています。

パウロの最後の手紙、テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二1章

テモテへの手紙第二は、テモテ第一とテトスへの手紙と少し違う。パウロによって派遣された伝道者テモテとテトスが、パウロの使者、あるいは代理として、どう働くべきかを示しているのがテモテ第一とテトスである。テモテ第二は、パウロが世を去り、いなくなった時にどうすべきかという課題を扱っている。パウロは、後継者であるテモテを励まし、伝道者としての任務を全うするように励ましている。この手紙を書いた時、パウロは投獄されており、裁判の判決を待っていた。パウロは、テモテに早く来るように頼んでいるが、来る前に自分が処刑されてしまうかもしれないことも覚悟の上でこの手紙を書いている。この手紙は、パウロが残した最後の手紙であり、パウロの霊的な遺言である。

あいさつと祈り (1:1~4)

1節でパウロは、自分が「キリストイエスにあるいのちの約束によって」使徒となったことを確認している。このことは、処刑を目前にしていたパウロにとっても、迫害を恐れていたテモテにとっても有意義な事実である。パウロは、10節で再び「いのち」について語る。パウロとテモテの関係は、神によってつながっていた。お互いに神に祈り合う関係であった。神抜きの人間関係は、常に問題だらけである。親子関係も夫婦関係も、あらゆる人間関係は、神との「三角関係」によって保たれるべきである。

パウロは、テモテのことを「先祖以来きよい良心をもって仕えている神に」感謝した。パウロにとって、旧約と新約の神は同じ神であった。当時、旧約の神と新約の神を別のものとしようとする教えがすでにあったのかもしれないが、それは明らかに間違いである。旧約には、クリスチャンが受け継ぐべき豊かな霊的遺産がある(ローマ15:4、1コリント10:11)。

テモテの任務の再確認 (1:5~10)

5節によると、テモテに幼い時から聖書を教えたのは、祖母ロイスと母ユニケであった。「ゆりかごを揺らす手が、世界を制する。」ということわざがある。今日の教会においても、母や祖母の影響力を軽んじてはならない。また、家庭において信仰を守り、継承していく努力を怠ってはならない。6節の「按手による賜物」は、奇跡的な賜物(使徒19:6)とも、伝道者としての職務(使徒16:2以下、1テモテ4:14)ともとれるが、ここで問題にしているのは、テモテの伝道者としての任務の遂行であるから、後者のほうを指しているように思われる。テモテは、伝道者としてのわざを、神の霊の力によって行わなければならなかった(ゼカリヤ4:6)。クリスチャンとなることもクリスチャンとして生きることも神のわざである。伝道者の働きも当然、神のわざである。自分の力でやろうとするなら、クリスチャン生活も、伝道者の働きも不可能である。9節で、パウロは私たちの救いが自分たちの働きによるのではなく、神ご自身の恵みと計画によるものであることを明らかにしている。イエス・キリストの十字架は、神が永遠から心に抱いておられた救いの計画である。

人間の滅びの状態の証拠は死である。人間を救う福音の証拠は、イエスの十字架と復活である。イエスは死を滅ぼされた。もはや死は、クリスチャンを支配しない。イエスの復活は、私たちクリスチャンの復活の保証である。この世が死をもって脅しても、福音宣教の邪魔をすることはできない(マタイ10:28)。テモテはこの世の力によって圧倒され、心が動揺していたようである。宣教とは、神の計画による神のわざを神の力によって行うものだということをパウロはテモテに確認している。私たちは自分の力で救われることも、救いを維持することもできない。同様に私たちは、自分の目的を達成するために救われたのではなく、神の目的のために救われたのである。

テモテへの手本 (1:11~13)

パウロは、また自分の手本をもって、テモテを励ましている。パウロは自分に委ねられた仕事のために苦しめを受けることを恥じとは思っていない(1:9)。それは、主がパウロの委ねたものを忠実に守って下さるからであると言う。イエスは「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」と言われた(マタイ16:24~25)。主が私たちを導かれる道は十字架の道である、しかし、十字架の道は必ず、復活へと続いている。

パウロは主を良く知っているという。ピリピ人への手紙を書いた時、パウロは主をもっと良く知りたいと言っていた(ピリピ3:10)。12節の言葉からは、パウロの信仰の成長も窺えるのではないか。「私は、自分の信じて来た方を良く知っている。」と言えることは何という幸いであろう。しかし、この祝福こそ、主がすべてのクリスチャンに与えて下さろうとしているものである。主は私たちにご自分との親しい関係を与えて下さろうとしているのである。

テモテは、パウロから受けた教えに従い、聖霊によって、その教えを守るように命じられている。主がこの世を去られるときに、弟子たちをみことばと聖霊に委ねられたように、パウロもテモテをみことばとテモテのうちに宿る聖霊に委ねている(使徒20:32)。

パウロは、テモテが真似てはならない、二人の悪いリーダーの手本を名指しで示している。それとは対照的に、オネシポロの良い手本を示している。オネシポロはパウロを助けた。今パウロはテモテを励まそうとしている。クリスチャンは主のために、主に与えられた使命をお互いに助け合い励まし合いながら遂行していかなければならない。(2:1~2へ続く)

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