「一番大切な人生の出会いー人生は出会いで決まる」について、クリスチャンが熱く語ってくださっています。水戸袴塚キリストの教会 相澤 潤二さんの証言です。
終戦から人生の出会いの始まり
「昭和20年8月、終戦のあの静かなとき、隣のクリスチャン平田姉が貸してくれた賀川豊彦の伝記の印象が私の心を離れず、帰国後の教会生活の原点となった。」 私は昭和5年1月31日、今の北朝鮮平安南道鎮南浦市で生まれました。
昭和20年8月15日の終戦の日は、平壌第一中学3年で、市内の中学3年以上の学生が、山中の飛行場建設作業に動員され、百日の突貫工事を完成し、夏休みのときでした。先生は「この戦いで我々は科学で敗れたのだ。」と唇をかんだのを思い出します。朝鮮は38度線で南北に分断され、満州、中国は蒋介石と中共が支配することになり、支配権が確立するまで空白の時代に、満州から日本人がリュック一つに、子供を背負って南下してきました。平壌はその通路で、大量の難民であふれていました。まもなく私たちも官舎が接収され、平壌の知人の二階の一室に三所帯が疎開しました。ロシヤ軍が進駐してくるまでのわずかなとき、私の住む官舎の向かいの家に平田さんという九州出身のクリスチャンの中年の婦人が住んでいました。彼女は中学三年の私にたくさん本を貸してくれました。その中に賀川豊彦の伝記がありました。全部読んだわけではないのですが心に残ったのです。
昭和21年5月末、平壌在住の日本人に帰国の許可が出て、無蓋車(屋根のない貨車)で国境まで運ばれ、38度線を徒歩で渡り、一週間かかって南朝鮮に京城に到着、更に二週間の滞在の後日本への帰国許可。南朝鮮の仁川港から出港、玄界灘を渡り博多に到着、父の実家、新潟県葛塚町黒山に着いたのは、平壌を出てちょうど一ヶ月後でした。母は私を連れて新発田中学校に行き編入手続きをし、昭和21年7月2日より、私は中学三年として通学を開始しました。私の新発田町の親戚の奥二階での間借り生活。まもなく五軒先の貸本屋に賀川豊彦の本があるのを見つけました。早速「一粒の麦」という本を借りて読んだ。ものすごい感動だった。
一番大切な人生の出会いー教会に通い始める
帰国後一年くらいして父は、フィリピン・ウマヤンにて爆死との公報を受けた。また、私は帰国途中の栄養失調からか、肺結核と診断され、失望の中にあった。そんなとき賀川豊彦の生き方は大きな希望となり、教会へ行ってみたいという願望が大きくなっていった。幸い高校二年の友人が教会へ案内してくれた。その日は青年会の日で、女学生もいっしょにゲームをして遊んだ。当時は男女別学で女学生もいっしょの生活は新鮮で、新しい時代の象徴のように思われた。その後、教会での説教はあまり心に響いてこなかったが、楽しい教会生活で礼拝のみ守る生活が続いた。高校卒業後一年目のクリスマスのときに(昭和25年)私は洗礼を受けた。キリストの救いはわからなかったが入学のつもりで受けた。
昭和31年、私の弟が東京商船大学を卒業、東京で船員試験の受験勉強、その年の7月私も母の手伝いの商売をやめて上京、弟と一緒に大学受験の勉強をはじめた。昭和32年4月、茨城大学教育学部数学科に入学、八年遅れの大学生活が始まった。大学ではクラブYMCAに入部、福富啓泰先生の聖書講義、そのころ水戸キリストの教会では高尾利数先生が牧会しており、熱気に満ちていた。私と妻は、当時めずらしいテープレコーダーを秋葉原で買って、高尾先生の話を録音、水戸国立病院の結核病棟で患者といっしょに聞きながら共に学んだ。昭和36年3月大学を卒業、昭和37年茨城キリスト教学園高校が中学校を新設するからと招聘され就職。ところが教師になるやクリスチャン教師として扱われ、学年礼拝の説教を分担することになった。生まれてはじめての説教。私は真剣に聖書を学びなおし、説教しました。今でも私は生徒の心に響く説教をしただろうか、救いの喜びを伝えただろうかと心が痛むことがあります。
人生の出会いークリスチャンになる
その私が定年退職して三年目(平成5年)の夏、信徒伝道ハンドブックを読み返していたとき、ルターの言葉に出会ったのです。「主は、金銀の力によらず、ご自身の神聖にして尊き血潮と、罪なくして受けたもうた苦難および死をもって、神から離れ、また罰せられるべき私を、すべての罪と死と悪魔の力より救いたまいしことを信ず」という信仰告白文である。このとき、「あっ、これが救いなのだ。神はひとり子をこの世におつかわしになったのは、私を罪の中から贖いだし、神の恵みに生きる者にするため、自らの身を捧げて下さったのだ。」今まで心に響かなかったことばが、神のことばとして心を打つようになったのです。これこそ神の御霊の働きなのです。その後、高等学校聖書科の藤山先生よりローマ書3章21~26節はキリスト教の中心が書かれているとすすめられ、内村鑑三の聖書注解全集ロマ書の研究を手引書として読み直した。
そしてわかったのです。自分の救いは自分の努力によって得られるのではなく、神がとりなしのみわざをすでになし遂げて下さっている。それを信じて従うことだと気づいたのです。 内村鑑三の聖書注解全集の中で、「神のひとり子の貴い血が万民のために流され、その死が万民の罪を一身に担いて贖いの死であればこそ、罪ある我らも罪なきものとして見られ、義ならざるわれらも義なるものと見なされるのである。されば、キリストの贖罪は実に福音の根底である。」と。
人の救いのためキリストの贖いのわざがすでに完成しているのです。私たちはそのみ業をなして下さった神を信じて仰ぎ、みことばに従って歩むのみでよいのだと教えられたのです。ハレルヤ。
※水戸袴塚キリストの教会
水戸市千波町在住 伝道者を支援する会代表