コンテンツへスキップ 投稿日:2022年2月17日/更新日:2025年1月18日

マタイ5章6節 義に飢え渇く者は幸い

顔を床に向けて祈る人

義に飢え渇く者は幸いですと書かれていますが、正義を求める人は誰でも満たされるという意味でしょうか。

人にはそれぞれ自分の正義がある

40年程前、私の職場の上司が、人間関係の難しさを私に教えるために、次のように言いました。「人にはそれそれ自分の正義がある」と。人にはそれぞれ言い分があり、自分なりの大義名分があるというのです。

これは個人レベルでも、国家間でも言えることです。隣国の中国と韓国は、日本とよく敵対することが多いですが、彼らにもそれぞれの正義、大義名分があるのです。

義に飢え渇く者は幸いの意味

しかし、上記の聖句でキリストが言っている「義」とは、自分の正義や国家の正義ではありません。むしろ神の正義です。「神が正しいことを行ってくださる」と祈り待ち望んでいる人は、幸いであり満たされらると教えているのです。

物質的に恵まれている日本に住む私たちは、「飢え渇く」経験があまりないので、キリストが言っている真意はわかりにくいかもしれません。1世紀には、貧富の差が今よりも大きく、多くの人々が餓死しました。「飢え渇く」という表現が、身近にあった世の中でした。さらに中東には砂漠地帯も広がっています。そのような場所では、「一滴の水でも欲しい」という「飢え渇く」経験をした人は少なからずいたでしょう。

そのような人々にキリストは、神の正義に当てはめて「飢え渇く」という表現を使っているのです。おへそと背中がくっついてしまうほど飢えている、灼熱の太陽の下で砂漠を歩いていると想像してみてください。正義に対して飢え渇くとは、人間の心の奥底から求める叫びです。願いであり、祈りなのです。

この世の悪行と神の義

この世では小さな悪、大きな悪が横行しています。そのような世の中で、私たちは生きることに空しさを感じるかもしれません。また、このような邪悪な世の中では、正当な裁きなどないと思えることがしばしばです。一体、何が本当で何が真実なのか、まったくわからないことだらけです。しかし、キリストは、「神の国と義を求めなさい」と教えています。

結論

この世の支配者である悪魔であるサタンは、人間をだます専門家です。悪魔は、人間を神様から離れさせるために、あらゆる手段を使って人間たちをだまします。その一つが、人間が自分の正義を求めることです。その結果として、人間同士が争ったり、国同士が争う戦争につながっていくのです。このような邪悪な世の中だからこそ、神の正義を求めるべきなのです。

主イエス・キリストを信じる人は、神の義を祈り求めます。決して、自分が考える「自分の正義」ではありません。日々、神に祈り、神の御心がこの世で行われるように、祈りましょう。読者の皆様の上に、神様の豊かな恵みが宿りますように。コメントなどお待ちしております。

山上の説教

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