「キリストは世の光である」この証言に反論したユダヤ教パリサイ人とイエス・キリストとの会話から何を学べるのでしょうか。イエス・キリストが真実を語っているでしょうかを検証します。
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」ヨハネ8章12‐19節 聖書協会
裁判の証人
裁判では、通常、事件とは無関係の第三者の方が証言します。客観的な見地から裁判が行われ、事実が明らかになるためです。
被告が、敢えて証人席に座り証言することはめったにありません。被告が証言したからといって、信憑性がありません。陪審員が信じる得る証拠がありません。本人の証言だけでは納得できません。テレビドラマではありそうなことですが、実際はないでしょう。
キリストはご自身が証人
1世紀のユダヤ教の律法学者たちも、同じように考えていました。ところが、イエス・キリストは、敢えて自分が証人席に立って証言しました。旧約聖書の律法に従って、2人の証人をたてました。父なる神様とイエス・キリストご自身です。
天から降ったイエス・キリストは、ご自分がどこから来たのかご存知です。ところがユダヤ教律法学者たちは、イエスを単なる人間に過ぎないと考えていました。もっともな話とも言えます。天を知らないのですから。彼らこそ、ただの人間であり、神の一人子を裁いていたのです。
父なる神様の証言と神様の一人子イエス・キリストの証言、天下無敵の証言です。このお二人の証言をそのまま素直に信じることこそ、人間に課せられた命題ではないでしょうか。
参照記事
キリストは世の光
この世は暗闇です。この暗闇の世に、イエス・キリストは光として来ました。暗闇の世にあっても、私たち人間に生きる喜びと神様の祝福を与えるために、天から降ってきたのです。さて、私たちはどのように応えるべきでしょうか。
裁判官は、父なる神様です。被告はイエス・キリスト、証人は父なる神様とイエス・キリスト、検察が悪魔です。傍聴席に私たちは座っています。判決は「イエス・キリストの勝利」と下されました。この勝利を祝い、イエス・キリストを信じ、ハレルヤと叫びましょう。