コンテンツへスキップ 投稿日:2022年11月7日/更新日:2023年2月11日

チームワークの大切さを学ぶ

チームワークの大切さ

ヨハネ1章19ー34節を読んで、バプテスマのヨハネの生き方から、チームワークの大切さを学んでみましょう。

人間には元々「自分が・・・自分が・・・」という自己顕示欲の塊みたい所があります。近年、この傾向が、どの世界を見ても多くなってきた気がしてなりません。政治の世界でも、スポーツの世界でも、芸能界においても、「自分中心の世界」に多くの人たちが生きているように思えます。こんな世の中だから、いろんな分野で不祥事が起きています。

バプテスマのヨハネ

ヨハネは、「私はキリストではありません。・・・ イエスは私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」と証言しています。

バプテスマのヨハネから学ぶチームワークの心

なぜバプテスマのヨハネは、このように自分を下げるようなことを言ったのでしょうか。今の世相とは全く逆の言葉です。自分を下げるような態度を持つ人は、よほどの人格者かバカな人と思われてしまいます。現代社会ではあまり考えられないことです。

チームワークの大切さ

スポーツ観戦から学ばされることは、数多くあります。たとえば、サッカー。11人の一人一人が自分の役割を理解しているチームは強いでしょう。確かに、メッシやロナウドのような優れた選手がいるチームは、その一発逆転の脅威をもっています。しかし、いくら一人のプレーヤーが個人技に優れていても、一人ではサッカーは出来ません。一個人のすばらしいシュートも、そこにパスを出す人がいなければ現実に起きません。

このチームプレーの精神は、神から召されるという事に当てはまります。ここにヨハネという人がいます。彼は臆することなく自分の役割をはっきり言いました。しかし、人には自分の能力以上のこと、与えられた役割以上のことをやりたいという欲望があります。自分が!自分が!という世の中では当然のことかもしれません。人はこれを向上心と呼びますが、聖書は罪と呼んでいるのです。

われわれが言う向上心とは、勝手な思い上がりかもしれません。他の人を省みずに、自分を高めるだけを考える人間の性です。 神を信じる初めは、へりくだる心から始まります。この謙虚な態度をもっていれば、「自分には誇るものもない。むしろ、どす黒い罪の心が宿っている」と認められるのです。

「私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」これはヨハネの信仰告白でもあり、また罪の告白です。 ヨハネは自分の働きに目を向けずに、神の子であるイエス・キリストの働きに目を向けました。これが人に求められている態度ではないでしょうか。

罪を悔い改める時

私たち人間は、自分の良い行いや働きに目を向けさらに他人と比べて、無意識に優越感をもってしまいます。または、競争心を煽られ他人よりも目立ちたいとか考え、人間の誉れを求めてます。それがおぞましいことであるとわかっていても、人は誘惑に負けてしまうのです。結局、そのような自己中心的な考えは人間の当然の権利だと思ってしまいます。

しかし、バプテスマのヨハネは、まったく違った人生観をもっていました。自分が低くなることをいとわなかったのです。なぜなら、ヨハネは自分の役割、ミッションを知っていた忠実なしもべであったからです。これはちょうど使徒パウロが、ローマ12章で言っている言葉といっしょだ。

自分を過大評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰に度合いに応じて慎む深く評価すべきです。

ローマ12章3節 聖書協会 

私たちも、バプテスマのヨハネのように、天にいらっしゃる主イエス・キリストに常に目を向けて生きるべきではないでしょうか。この方に耳を傾け、この方から学び続けることに、キリスト者の生きがいがあるのだから。

「チームワークの大切さを学ぶ」への1件のフィードバック

  1. 横田キリストの教会のメンバーは、みんな恥ずかしがり屋でレビューを書きたがらないので、管理人自らレビューを書き込みます。自分で書いた記事に、自分でレビューを書くほど情けないことはないと思ってしまうので、いままでしてませんでした。
    バプテスマのヨハネのようにヘリ下っている牧師さんって、あまり見たことがないです。自分を高めるので頑張っている人は多いです。皆様はどのようにお感じでしょうか。

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