コンテンツへスキップ 投稿日:2023年4月27日/更新日:2023年5月8日

ヨハネ10章23-38節。イエスを信じよう

父なる神とイエス・キリストは一つ

イエス・キリストは、いったいどんなお方でしょうか。その正体を知りたいと思いませんか。イエス・キリストを素直に信じて神様の祝福を受けましょう。素晴らしい恵みが与えられます。

神殿の境内で…ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」そこで、イエスは言われた。…「もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」

ヨハネ10章23-38節 聖書協会

ユダヤ人たちがイエスを受け入れなかった理由

イエス・キリストは十字架にかけられ死んだ後、三日目に死からよみがえりました。ペテロが主イエス・キリストの死と復活を説教した後、約3000人のユダヤ人たちが信仰告白をしました。

しかし、1世紀の多くのユダヤ人たちはイエス・キリストを信じませんでした。今日でも状況は変わっていません。なぜでしょうか。2つ理由があります。第一に、イエス・キリストはユダヤ教の伝統を守りませんでした。ユダヤ人たちは、彼らの伝統を守りイスラエル民族を復興させるメシヤの現れを待っていました。見事にイエス・キリストは彼らの期待を裏切ったのです。

第二に、ユダヤ人たちはメシヤなる預言者を待ち望んでいましたが、「神が人と成って語る」ことなど考えもしなかったでしょう。ところが、イエス・キリストは神をご自分の父を呼び、直接父なる神によって遣わされたと宣告したのです。「父なる神とイエス・キリストは一つ」であることも明言したのです。ユダヤ人たちは、これらのイエス・キリストの言葉を、神を冒涜していると解釈しました。

参照記事 真理を語っているのに信じない理由クリスチャンにならない理由

もしイエス・キリストが真実を語っているのであれば…

しかし、一歩立ち止まり、イエス・キリストの言葉を検証してみましょう。もしイエス・キリストが真実を語っていたら、私たちはどのように対応したらいいのでしょうか。

イエス・キリストの言う通りもし噓八百であれば、キリストは信じるに値しません。もし真実であれば、生か死の問題です。一生かけて検証しても損はありません。

この世には、一生かけても損はしない物などあるのでしょうか。国宝級のお宝であっても、時代が変われば価値も変化するでしょう。そしてそのような物質の存在は、いずれ消えてなくなってしまいます。目まぐるしく価値観が変化する現代社会では、一生かけても損はしない物などありません。しかし、イエス・キリストのメッセージだけは別格です。

イエス・キリストを信じてみよう

イエス・キリストは、何度も「わたしを信じなさい」と私たちに言っています。創造主なる神の御心を聞くように、私たちを招いて下さっています。

イエス・キリストの招待状をゴミ箱に捨てるのか、それとも素直に聞き入れ信じるのかは私たちの自由です。キリストへの信仰は、新興宗教が行っている強制的な信仰ではありません。キリストの名によって、そのようなことを行っている集団は、たとえ有名な先生がいても偽物です。

「多くの人たちが行くから安心だ。わたしもついて行ってみよう」のような他人追従の信仰でもありません。あくまでも、個人の判断に任されているのです。なぜでしょうか。イエス・キリストは、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言っているからです。

このようにイエス・キリストへの信仰は、いつも自由です。でも勇気をもってキリストを信じてみましょう。必ずイエス・キリストが約束する神様の祝福が与えられます。

「ヨハネ10章23-38節。イエスを信じよう」への2件のフィードバック

  1. アーメン。主イエスは私達を最善の道に導いてくださいます。神さまは全てのことを働かせ益としてくださるので、例え辛い状況に在る時でも主に信頼することが出来ます。感謝します。

    1. クリスチャンになって本当に良かったと思えますね。主イエス様に出会っていなかったら、どんな人生を送っていたのか? 考えるだけでぞっとします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です