コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月9日/更新日:2025年2月15日

ヨハネ12章12-19節。平和の使者

ロバに乗ったキリストは平和の使者

ヨハネの福音書の解説シリーズ。ヨハネ12章12-19節では、イエスがろばに乗って旧約聖書ゼカリヤの預言を成就させたことが記録されています。ろばに乗った意味は何でしょうか。

その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」ヨハネ12章12‐19節 聖書協会

ユダヤ人たちの期待「ホサナ…イスラエルの王に」 

ホサナとは、古代アラム語で文字通りの意味は「救いたまえ」ですが、神を褒めたたえる時に使われた言葉です。旧約聖書、詩篇118篇25節にも、ヘブル語でこの表現が使われています。へブル語(ヘブル語はアラム語の姉妹語です)ではhoshiah naです。そのままの音がギリシャ語に翻訳されているのです。

ではユダヤ人たちは、どのような思いでこのような表現を使って、主イエス・キリストを褒めたたえたのでしょうか。ユダヤ人たちは、イスラエルがローマ帝国の支配から解放され、独立した国家として復興されると願っていました。ですから、主イエス・キリストを「イスラエルの王」として褒め称えたのです。

しかし、天の神様はまったく違った計画を、主イエス・キリストに託していました。キリストの十字架によって、神様はすべての人間に救いを差し伸べたのです。さらにキリストの死から復活によって、最後の敵である死、悪魔のわざである死に勝利したのです。これはキリストを信じる人の勝利となりました。

参考記事

旧約聖書 ゼカリヤ9章9節の預言

イエス・キリストは、ロバを見つけてロバの背に乗りました。主キリストは、ゼカリヤ9章9節の預言を知っていました。自らがこの預言を成就する者としてロバに乗って、ご自分がメシアであることをユダヤ人たちに知らしめたのです。

ロバに乗ることに何の意味があるのでしょうか。馬に乗る者は戦士であるのに対して、ロバに乗る者は平和の使者として象徴的に言い表せています。ユダヤ人たちは、メシアが武力でイスラエルを復興させることを期待していましたが、イエス・キリストは見事にこの期待を裏切ったのです。もちろんユダヤ人たちもキリストの弟子たちも、キリストがロバに乗った意味を知るすべもありませんでした。

キリストの十字架と復活の後に、明らかにされた預言の意味

弟子たちは、キリストが力なく十字架で死なれたのを見ました。主と慕っていた方が、無残な死に方をしたのです。希望を失った時です。しかし、その3日目にキリストは死から復活しました。主キリストは、悪魔の力もわざもすべてに勝利したのです。

この時、弟子たちは、主キリストが武力ではなく、天のお父さまなる神様が計画した十字架によって、神様の民の救いが成されることを知ったのです。天の神様は、イスラエルの民との旧い契約を破棄して、新しい契約を結んだのです。

クリスチャンは、神様の新しい契約に与っています。人種や国瀬を問わず、主キリストを信じる者は誰もが、神様の恵みを受ける権利をいただいています。ヨハネの福音書を学びながら、神様の救いの契約を学んでいきましょう。

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