ヨハネ12章27-33節からキリストの不思議な死を解説します。キリストは、十字架にかけられ死にました。キリストの十字架の死は、私たち人間には分からないことだらけの不思議な死です。
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。ヨハネ12章27-33節 聖書協会
キリストが来た目的
天にいらした方が、天から降りてきて人となられました。約2000年前ユダヤ地方で、この方、イエス・キリストは「天の御国は近づいた」とユダヤ人たちに宣べ伝え始めました。全人類へのメッセージとして、私たち人間たちに生き方を教えたのです。
しかし、キリストは「わたしはまさにこの時のために来たのだ」と言っていますが、この時とは何でしょうか。それは、十字架の死です。そのことを知っていたイエス・キリストは、父なる神の御心が行われように祈った後、父なる神は、キリストの祈りに応えご自分の栄光を現したのです。当時の弟子たちは、ビックリ仰天したに違いありません。
キリストの不思議な死
キリストの十字架の死ほど、全世界に影響を与えた死はありません。どんな偉人であっても死んだら、その人の影響力は年々小さくなっていきます。忘れられていきます。人々の心の片隅に残る程度です。ところがキリストの死は全人類に影響を及ぼしました。
イエス・キリストの不思議な死について問いかけてみましょう。私たち人間にとって、一番不可解なのは、「キリストが人間の罪のために死んだ」という聖書の教えです。「あなたのために・・・」と言われても、頼んでもいないのに勝手に死んだというしかないでしょう。
しかし、キリストの死は、人間に対する神様の一方的な愛ゆえに成されたわざです。確かに、誰一人として、自分の代わりとして死んでくれと頼んだ覚えはないのです。繰り返しになりますが、神様の一方的な愛だからこそ、キリストの死が私たちには不可解なのです。
第二の不思議は、イエス・キリストの死は自殺と同じではないか?、自ら進んで死を選んだのであれば、自殺と同じではないか?という疑問です。これは、クリスチャンではない人が、当然持つ疑問かもしれません。
しかし、真実はまったく違います。主イエス・キリストは、父なる神様の御心、人類の罪のために自分が罪のいけにえになることに忠実であったのです。十字架刑にかけられた死にました。異邦人たちの手によって死刑にされたのです。
ヨハネ12章27-33節からキリストの不思議な死について解説しました。読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。
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アーメン。神さまがイエスさまを通し、私達にご自身を表してくださいました事を感謝します。また私達が今日も主の聖霊と共に歩めます事を感謝します。
主イエス様の不思議な死は、驚くべき神様の愛が示されているからなんですね。神様の愛が注がれていることを考えると、「こんな私にも」と思わず言ってしまいます。感謝!