キリストの愛によって生きるとは、どんな意味でしょうか。どのようにキリストの愛によって生きることが出来るのでしょうか。
傷ついた心は愛に飢え渇いている
人は愛に飢え渇いていますが、心が傷ついてしまった人たちは、その愛をどこに求めていいのかわからずにいるのではないでしょうか。親の愛であっても夫婦の愛であっても、その愛はもろく壊れやすいものです。ネガティブな出来事や苦い経験によって、いとも簡単に人間の愛は崩れてしまうことがあります。
世界中を見渡してみましょう。または日本社会全体を観察してみましょう。多くの人たちが愛に飢え渇いているのではないでしょうか。飢え渇きは、物理的な食べ物、飲み物だけに限ったことではありません。たとえ物理的に満たされていても、心に飢え渇きを覚えている人たちで、この世の中は溢れています。
一度、心の飢餓状態に入ってしまうと、そこから抜け出すのは人間の力ではほとんど不可能です。神様の導きと働きかけが、その人にない限り難しいのです。その人が神様に導かれ気づきが起きて、暗闇の中に光が差し込んでくるのではないでしょうか。
そんな心の飢え渇きを覚えている私たちに、イエス・キリストは次のように言っています。
渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。ヨハネ7章37-38節、あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。ヨハネ15章7‐9節 聖書協会
上記の聖句は、イエス・キリストの愛によって生きる意味を説明しています。
キリストにつながっている
キリストは「わたしにつながっていなさい」と私たちを招いています。羊が飼い主についていくように、私たち人間もキリストを信じてついて行きます。主キリストの教えに忠実に生きて行って、はじめてキリストにつながって行けるのでしょう。
キリスト者は、主キリストに倣い学び続けます。主のくびきを負い、自分を捨てて十字架を負ってこの世の旅路を歩きます。これは決して平たんな道ではありませんが、迷路のようなどこへ行くかわからないような道ではありません。主キリストが常に私たちを導き、引っ張っていく道をまっすぐに歩きます。これがキリスト者の人生の道です。
キリスト者のグループは、羊の群れに例えられます。その群れには、羊の皮をかぶった狼が紛れ込んでくる場合もあると主キリストは忠告しています。そんな時にも、主キリストから目をそらさずに生きて行ってこそ、キリストとの絆が強められます。
私たち人間の飢え渇きは、神様の聖霊によって心が満たされなくなります。心には、喜びと平安が満ちているのです。この聖霊の働きが、キリストにつながっている証拠です。その結果、私たちはキリストの愛によって生きていくことになるのです。
キリストの愛によって生きる
主キリストは、私たちをこのうえなく愛してくださっています。この愛は2000年前、主イエス様が人として生きた時も今も変わりはありません。その愛にとどまって生きていきなさいと招いてくださっています。
キリストの愛は「忍耐強く、情け深い。ねたまない。自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばす、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えます」。この愛によってキリスト者は、この混迷した世の中を生きていきます。
キリストの愛によって生きるとは、縦の関係である神様との関係だけを指しているのではなく、横の関係である人間関係にも当てはまります。主キリストが神様の愛によって人と接したように、我々もこの愛によって生きていくことが求められています。その結果、何が起こるのでしょうか。
心が清められ実を結び、主が褒め称えられる
キリストの愛に浸かることは、なぜキリスト者にとって、もっとも重要なことなんでしょうか。答えは単純明快です。キリストに愛につながっていなければ、何もできないからです。しかし、この単純明快な答えには、もっと深い意味が隠されています。
キリストの愛にとどまっていなければ、私たちはキリストの名によって、父なる神様に祈ることができます。その祈りに主は応えて下さり、私たちに実を結ばせてくださるのです。キリストの愛は、私たちキリスト者を包み込むだけでなく、私たちの周囲の人たちにも行き渡り良い意味で感染しています。
キリストの愛に留まることによって起こる霊的な成長は、信仰深いキリスト者なら誰にでも起きます。体な丈夫な人も丈夫ではない人も、五体満足な人も不自由な人も、すべて平等に心が聖霊に満たされるのです。人それぞれに奉仕の道が開かれます。自分の能力、技術、賜物を使って、神様と人々に奉仕できるのです。聖霊の実を実らせるのです。
今日も天のお父さまに感謝して過ごしましょう。主イエス様の名によって、アーメン。
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アーメン。今日も御霊に導かれて進んでいけますように。感謝します。
アーメン!