コンテンツへスキップ 投稿日:2022年2月1日/更新日:2023年5月5日

人を裁かない健全な態度と人間関係

「人を裁かない健全な態度と人間関係」というテーマで、日立キリストの教会の伝道者 櫛田猛さんに寄稿していただきました。人間の罪深さを考えさせられます。

健全な人間関係を妨げる態度

何か問題が起こると、大体の人が自分を守ることを自然と考えると思います。責められたりすると自分を守ってしまうものです。素直になれず、言い訳を考えたり。嘘までついてしまったり。他人を責めたり。自分を守るために必死になるものです。「自分が悪い」ということを受け止めるって、ものすごく難しいことなのだと実感しています。

なのに私たちは何が悪かったのか原因を考えずにはいられない。そして誰が悪かったのかと延々と考えてしまう。悩むこと、後悔し続けること、自己嫌悪や自分を責め続けることで、事態が良い方向に向かうならいいでしょう。でも大抵は自分を滅ぼすことになると聖書は示しています。神様の御心に叶った悲しみ方がある。その悩み方を学びたいですね。

主イエス様は人を裁かない

新約聖書を読むと、イエス様は誰の事も裁いていないことにびっくりします。現行犯の人のことも裁かなかった。はっきりと罪を告発したのは、人を裁いていた宗教家たちに対して。どうしようもない弱さやみじめさの中にいる人たちを、イエス様は決して裁かなかったのです。その人たちに悪いところや罪がなかった訳じゃない。でもその人を責めても裁いても、何の救いにも誰の救いにもならない。それよりも彼らが自分に対して、神様に対して素直になって、神様の救いを受ける事が出来るように接したのだと思います。

イエス様にはキリスト(救い主)として、その人の身代わりになって自分が裁かれる覚悟があったのです。イエス様は私たちに自分や周りを責めているより、神様から与えられた人生を一歩ずつ少しずつ前に進んでいってほしいと願って下さっている。そしてそのために何でもして下さる方です。

私たちを裁く方は神様のみ

パウロという使徒は、私たちを裁く方は神様のみ。人間には人を裁く権限は与えられていないと教えました。他人を裁くことも、自分を裁くことも神様への越権行為なのです。だからパウロは人から責められても、自分が自分を責めても、自分の事を裁いて見限ることはしなかった。神様に委ねたのです。それが神様の願いだからです。イエス・キリストの救いを受け取ってください。イエス様は私たちを裁きません。安心して前に進んでいきましょう。

わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(ヨハネ12:47)

 日立キリストの教会 伝道者 櫛田猛

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