コンテンツへスキップ 投稿日:2022年4月10日/更新日:2023年5月5日

聖書が教える自由意志の法則

自由意志

神は人間の尊厳として人間に自由意志を与えました。キリストは「聞き耳のある者は聞きなさい」と言って自由意志の法則を教えています。1.自由意思と主体性の法則、2.自由意思と自主性の法則、3.自由意思と責任の法則

「人間には自由意志などない。未来のことはすべて決められている」と聞いたことはありますか。実際、このような運命論的考え方は、多くの宗教と哲学にあります。

参照サイト わたし達に自由な意志はあるのか《宇宙一わかりやすい科学の教科書》 私たち人間は、自由意志のない、何かに操られている人形なのでしょうか。

1..自由意志と主体性の法則

人間の自由意志の原則

「聞く耳のある者は聞きなさい」の言葉に、私たち人間の主体性が表現されています。自分の考えを言い伝えるために1つの口が与えられ、人の話を聞くために2つの耳が与えられています。私たち人間はそのように創られています。キリストは、私たちの肉体的な耳だけではなく、心の耳にも訴えかけています。自分の自由意志を認識すると、そこに主体性が生まれてきます。自分が何をしたいのか、何をすべきかを、自分で決めることを認識するのです。

主体的に物事を見るのは、日本では必ずしも容易ではありません。日本の文化の中では、個よりも全体の方が重要だからです。全体が個よりも優先する世界では、個の主体性は全体の中で消えていきます。しかし、神は一人ひとりを主体性をもった存在として創造しました。この神の創造に、個々の人間に対する隠された愛があるのです。「聞く耳のある者は聞きなさい」という表現に、愛という言葉はありませんが、これは神の愛の表現です。主キリストは私たちを愛し、私たちの主体性を大切に思っているのです。

2.自由意志と自主性の法則

「聞く耳のある者は聞きなさい」は、人間の自主性を表している言葉です。私たちがキリストのことばを聞く、聞かないは、神の導きはあっても、100%私の自由です。

神は、常に私たち人間を招いておられます。愛なる神は、私たちの意志に反して無理やり導いたり、聞かせようとはしません。人の心を操るようなことはしません。愛なる神は、私たちを意志のないロボットのように、操り人形に創造されていません。なぜでしょうか。私たちの創造主なる神は、人間の尊厳として、霊的DNAである自由意思を与えているからです。

3.自由意志と責任の法則

人間には自由意志があります。人は何をやっても自由です。たとえ、国の法律を犯すような事であっても、その人の自由意志で行っているのです。他の人に迷惑をかける、かけない、嘘をつく、つかないも、その人の自由意志の行いです。しかし、自由意志には必ず責任が伴います。

自由意思を認識している人は、自分が人生を決めていく権利と責任をもっていると認識しています。親が敷いてくれる人生の道を歩んでいる日本人は多いですが、それは自由意志の意味を理解していないからです。自分にとって何が最高の人生なのかは、自分自身が決めるのです。だから、自由意志をはっきり理解している人は、自分の可能性を最大限に生かそうとします。自分自身を大きく育てる努力を惜しまないでしょう。

結論

「自由意志があるのだから何でも好きなことをやっていいのではないか」と若い人たちは考えがちですが、自由意志には必ず責任が伴うのです。自由意志、主体性、自主性、責任は、すべてみな相互関係にあります。自由意志があるから、その人の心に主体性と自主性が生まれてきます。さらに、自分の行動に対して責任感も生まれてくるのです。

自由意志のテーマに関連して、「命の大切さ、命は誰のもの、どう生きるか。聖書から考える」人間は動物ですか、も読んでみてください。お役にたてると確信しています。

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