神様は、イスラエルと旧い契約と結びました。その契約は終わりました。新しい契約は、イスラエルだけでなく、すべての民族と結ばれました。神様が結ぶ新しい契約の特徴は、聖霊と罪の赦しが与えられることです。
旧約聖書エレミヤ31章の預言と成就
へブル31章の預言がキリストによって成就されたと、へブル8章7-12節が明確にしています。
もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る』と、主は言われる。『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、わたしも彼らを顧みなかった』と、主は言われる。『それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはそれぞれ自分の同胞に、それぞれ自分の兄弟に、「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで彼らはすべて、わたしを知るようになり、わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」
へブル8章7-12節 聖書協会
新しい契約が、旧い契約とは違う点が2つあります。(1)神様の律法が心に書かれる。(2)罪が赦される。律法が心に書かれるとはどんな意味でしょうか。
神様の聖霊がすべてのキリスト者に与えられる
心に書かれる律法とは、聖霊なる神様を指しています。旧い契約の時には、ある特定の人物だけに与えられていた聖霊ですが、新しい契約では信じるすべての者に注がれるのです。旧い契約では、預言者や祭司が「神を知れ」と教えていましたが、新しい契約では心に書かれた律法(聖霊なる神様)によって、キリスト者は神様を知ることができるのです。
1ヨハネ2章26-27節では、キリスト者は油が注がれているので、誰からも教えを受ける必要がないと書かれています。この油とは、聖霊なる神様を指しています。油という表現には、旧約聖書の背景があります。サウロもダビデにも、王として主の祝福を受けるとき、油が注がれ聖霊が降りました。しかし、新しい契約では、すべてのキリスト者に、この油注ぎが行われ、聖霊が与えられているのです。
旧約聖書ヨエル2章28-29節(新共同訳では3章1-2節)にも、聖霊が与えられる預言がされています。この預言通りに、エルサレムにおいて使徒たちに神様の聖霊が降りました(使徒行伝2章)。その後、約3000人のユダヤ人たちがバプテスマを受け聖霊つ罪の赦しをいただきました。
罪が赦される
聖霊の約束と同様に、罪の赦しも神様の恵みです。旧い契約では、罪を犯すたびにイスラエルの人々はいけにえを捧げていました。祭司自身も、自分の罪のためにもいけにえを捧げる必要があったのです。
しかし、新しい契約では、主イエス・キリストが全人類の罪を負うために、一度身を献げられました。主イエス・キリストを信じる人は、罪が赦され永遠の命を受けると約束されています。
旧い契約では、イスラエル人ではない異邦人たちは、この罪の赦しの祝福を受けることはありませんでした。しかし、新しい契約では、人種、文化、国籍を超えて主イエス・キリストを信じるすべての人間に、この約束が与えられています。与えられた聖霊によって保証されているのです。
結論 主イエス・キリストが人生の主であり、救い主である
旧い契約では、神様は律法を御心を示す教えとして、イスラエルの人々に与えました。しかし、新しい契約はまったく違います。主イエス・キリストが、神様の律法なのです。主イエス様が御心を教えているのです。主イエス様が、律法で決められた罪のいけにえとして、人類の罪のために一度だけ身を献げました。今、この方を信じるすべての人に、神様の聖霊が与えられ、罪の赦しが約束されています。主イエス様を信じて、神様の恵みに与りましょう。
アーメン。主の御名を賛美します。今日も主の恵みにより、希望と命を与えられ生かされています。感謝します。