信仰の意味と実践

信仰とは何か。キリストだけを信じる本物の信仰、3つの理由

クリスチャンになっても多くの人たちが、教会生活に躓いてしまいます。キリスト以外の物や人に、信仰の礎をおいているからです。キリストだけを信じる本物の信仰、3つの理由を説明します。1.イエス・キリストだけが、神への道だから、2.キリストだけが信仰の創始者であり完成者だから、3.キリストだけが人生の師であり先生であるから。この信仰が、神の御心に適った信仰です。

1.イエス・キリストだけが、神への道だから

信仰とは何か

主イエス・キリストを信じるとは、神を信じる信仰です(ヨハネ14章1節-6節)。神との関係を持つには、この方を信じなければなりません。他の誰でもないのです。教会のリーダーを信じても、神との関係を持つことは出来ません。主イエス・キリスト以外に神への道はありません。この方から目を離し、教会のリーダーや牧師を信じたり、教会の組織を信じたりするときに、信仰が盲目的になり躓きのもとになります。

自分の信仰を吟味する

私たちは、なぜ神を信じているのでしょうか。なぜイエス・キリストを信じているのでしょうか。クリスチャン家庭に育ち、疑う余地はなかったという方もいるかもしれません。親の信仰が、そのまま子供に受け継がれたかたちです。ある人は、自分が尊敬する牧師の信仰をそのまま信じています。でも、いずれの場合も、「個人の信仰として、なぜ私はキリストを信じているのか?」という疑問には答えていません。「牧師が言っているから」では、それこそ盲目的な信仰と指摘されても仕方ありません。

一度、白紙の状態から自分の信仰を吟味してみましょう。何を自分は心から信じているかを、ノートに書き留めてみます。そして、根拠はどこにあるのかを答えてみましょう。

主キリストから目を離さない信仰で生きる

他のクリスチャン、たとえば教会の牧師やメンバーの偽善的な態度を見て、結果的に信仰を捨てたという話をよく聞きます。しかし、牧師であろうと有名な先生であろうとも、人間は誰でも罪人であり過ちを犯し続けます。そのような人の罪を見て、キリストへの信仰を捨てていいのでしょうか。そんなことは絶対あってはなりません。

主イエス・キリスト以外に救いの道はありません。主イエス・キリストだけが神の道なのです。では2番目の理由を考えてみましょう。

2.主イエス・キリストだけが、信仰の創始者であり完成者だから

主イエス・キリストは、信仰の創始者であり完成者です(へブル12章1節-2節)。クリスチャンは、信仰の第一歩を信仰の創始者であるイエス・キリストから学ぶのです。主イエス・キリストは、「信仰とは何か」を教えてくれました。「どのように神を信じるのか、愛するのか。どのように隣人を自分のように愛するのか」を実践して、私たちに教えて下さったのです。信仰のスタートラインが、主イエス・キリストにあるのです。

信仰の創始者、主イエス・キリストに目を向けて、自分の判断を吟味する

自分の判断が100%正しいなんてありえない、と私は知っています。聖書を100%すべて正しく理解しているなんて、私にはあり得ません。(実際、誰にとっても不可能なことです。)自分が罪人であり、神の御心に反したことをしてしまうのも認識しています。健全な信仰とは、神を信頼すると、同時に、自分の愚かさを知ることではないでしょうか。

盲目的な信仰は、まったく逆の場合に生まれてきます。自分の判断に間違いはないという思い込みが、盲目的信仰を生むのです。自分の教会の教理は絶対に正しいとか、この牧師の聖書解釈に間違いはないと思い始めるのきっかけで、盲目的な信仰が始まります。そんな悪魔の欺きにだまされないために、常に主イエス・キリストに目を向けましょう。

信仰の創始者、主イエス・キリストに目を向けて、牧師や他のクリスチャンの判断を吟味する

同時に、他のクリスチャンの判断にも絶対はないのです。100%正しいということもあり得ません。たとえ、自分が尊敬する牧師の判断であっても、絶対はあり得ません。そもそもカルト的宗教集団が始まるきっかけは、ある宗教リーダーの判断を100%信じる盲目的信仰にあるのではないでしょうか。たとえ、尊敬される有名な牧師の聖書解釈であっても、それを自分自身で考え、検証する必要があります。それを鵜呑みにしていたら、盲目的信仰になってしまいます。

神を信頼することと尊敬している牧師を信頼することは、まったく意味が違います。神への絶対的な権威は、どんなにこの世が悪くなっても、また人が躓いても、変わることはありませ。神に間違いはないからです。

ところが、人間には間違い・過ちがあります。思い込みもあります。いくらある人を尊敬していても、神を信頼する同じ度合いで、その人を信頼するべきではありません。「この人のいうことに絶対に間違いはない」と思ったら、盲目的な信仰へのドアを開けて入場したことになります。悪魔が喜ぶ瞬間です。

信仰は、信仰の完成者である主イエス・キリストの関係によって成長する

主イエス・キリストは、信仰を完成させた方です。悪魔によって誘惑されたときも、父なる神にすべてをゆだね、信仰をフィニッシュした方なのです。だからクリスチャンは、信仰のスタートからフィニッシュまで、主イエス・キリストに目を離してはいけないのです。クリスチャンの人生は、山あり谷ありです。しかし、そんな人生の嵐が来るときにも、主イエスはあなたの信仰を守ってくださいます。あなたの信仰を成長させてくださいます。

3.主イエス・キリストだけが、人生の師であり先生だから

第三の理由は、「主イエス・キリストだけが人生の師であり先生である」という事実に基づいています。私たちは、神様の御心に適った生き方を主イエス・キリストから学びます。この方だけが、人生の師であり先生です。だから、私たちの生活にまとわりつく罪をかなぐり捨てて、主イエス・キリストに目を向けて生きなさいと聖書は教えています。

すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。(へブル12章1節-2節)

しかし、現実のキリスト教は、主イエス・キリスト以外の人間、教会のリーダーであっても罪人に過ぎなり人間を、特別扱いして神と民の仲介者として見ています。神と民の仲介者は、主イエス・キリストだけです。

だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。(マタイ23・8‐10)

さらに現実のキリスト教は、神の以外の人間を「父」や「師」と呼んでいるのです。クリスチャンに上下関係はありません。すべてのクリスチャンは、罪人であり神に仕える兄弟姉妹なのです。主イエス・キリストだけが、人生の師であり先生なのです。

クリスチャンは主イエス・キリストの弟子だから、主に倣い学び続ける

クリスチャンは、人生の土台をどこに置いたらいいのでしょうか。キリストが建てている教会の交わりは大切ですが、教会は人生の土台にはなりえません。人生の土台はあくまでも主イエス・キリストにあります。キリストの弟子であるクリスチャンは、この方に倣いこの方から学び続けるのです。ここに人生の土台があるのです。

もちろん、他のクリスチャンからも多くのことを学べますが、クリスチャンの目の焦点は、常に人生の師である主イエス・キリストにあるべきです。主イエス・キリストを日々見上げ、父なる神を礼拝をするーーーこれを日課にしましょう。人生の土台が主イエス・キリストに築かれます。

主イエス・キリストだけが、健全な信仰の礎だから

主イエス・キリストから離れては、クリスチャンは何もできません。つまり、神の御心に適った生き方はできないのです。その意味で主イエス・キリストは霊的な成長の礎です。主イエスはブドウの木であり、クリスチャンは伸びている枝です。ブドウの木から離れて枝は実を結べません。

健全な信仰は、主キリストとの健全な関係に基づいています。どんなに聖書の知識をもっていても、主キリストとの関係が健全でなければ、クリスチャンとして成長するのは不可能です。教会にまじめに通い礼拝に参加していても、主キリストとの関係が不健全であったら、どんなクリスチャンでしょうか。

健全な縦の関係と横の関係

クリスチャンの健全な信仰は、主キリストとの縦の関係に基づきますが、必然的に主キリストが教えた隣人愛という横の関係も重要です。隣人を憎んでいて、同時に主キリストを愛す事はできません。教会内の兄弟姉妹と仲が悪い状態で、健全な信仰は保てません。

聖霊なる神様による自浄能力

だから、常に主イエス・キリストに立ち帰る信仰が必要なのです。主キリストが臨在しておられる教会には、主キリストの聖霊がクリスチャンに自浄能力を与え働いておられます。聖霊なる神様が、私たちに絡みついてくる悪を取り除いてくださるのです。このような教会では、悪を悪、善を善とハッキリと言えるのです。

結論 

クリスチャンであっても、信仰の焦点が間違えば盲目的な信仰に陥りやすいのです。主イエス・キリストへの信仰が一番大切である理由3つを説明しました。読者の皆様が、常に主キリストに目を向け霊的に成長されますように、心よりお祈り申し上げます。

Review

  1. 盲目的な信仰ー他の宗教の場合
  2. 宗教・信仰に入るきっかけは?
  3. 外部リンク 「盲目的信仰」と「理性的な精神」
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