主キリストにある一致

主イエス様の祈りはクリスチャンの一致

キリスト教の分裂は、残念ですが、事実です。キリスト教の分裂は、人間が成せるわざです。しかし、主イエス・キリストは、クリスチャンの一致のために祈りました。父と子が一つなように、クリスチャンが一つになるように祈りました。このキリストの祈りに応えましょう。

キリスト教の分裂の現実

しかし、キリスト教には小さいグループを含めますと、星の数ほど教派があります。信仰の微妙な違いが原因で、キリスト教は各教派に分かれています。ほとんどの教派は、日曜日に礼拝をまもります。土曜日に礼拝をする教派もあります。信じるだけで救われると信じている人もいれば、そうではない人もいます。それぞれの教派の強調点、信仰の根幹が違うのです。

そのほか、キリスト教を分裂させているテーマとしては、1000年王国という終末論、聖霊の働き、教会の権威、聖書の権威、クリスチャンの救いと奉仕などがあります。2000年のキリスト教の歴史上、クリスチャンたちは激しい論争をして、最終的に四方八方に枝分かれしました。極端な例は、敵味方同士、主イエスの名によって戦争までしたのです。

キリスト教の教派に縛られないクリスチャンはいるでしょうか。カトリックでもないプロテスタントでもないクリスチャンは存在するでしょうか。ある人はルーテル派のクリスチャン、またある人はバプテストのクリスチャンといった具合に、教派に自分のIDがあるのです。しかし、教派に囚われない真のクリスチャンとはどんな人でしょうか。でも教派のIDは、必要なのでしょうか。教派のIDなど、いっそのこと消し去ってしまったらどうでしょうか。

教派の教理によって縛られてますか?

プロテスタント諸教会には、宗教改革以降、発達してきたカテキズムという伝統があります。各教派は、自分たちの教理を信者にわかりやすく教えるために、聖書以外に副読本を作っています。これがカテキズムです。日本語では教理問答とも訳されています。

もし教会に通い始めたあなたが、この副読本に異論を唱えたらどうなるでしょうか。これだけ違った教派があり、違った教えがあるのだから、信者は異論を唱える自由をもっているはずです。もしあなたが異論を言い続けていたら、教会はどのような対応をとるでしょうか。おそらく、あなたは他の教派にいくように勧められます。

主イエス・キリストの祈り

また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。

ヨハネ17章20節-21節

主イエス様にある一致を、教派の壁を乗り越えて、いっしょに祈ってください。クリスチャンの一致は、神の御心だからです。

残念ながら、キリスト教は誰が見ても分裂しています。カトリックとプロテスタントだけの分裂ではありません。プロテスタント内でも無数に枝分かれして、日本国内だけでも約200の教派・教団があるのです。クリスチャンは、日本の全人口1%にも満たないのです。驚きではありませんか。日本でキリスト教が育たないは、こんな所にも原因があるのではないでしょうか。

キリストの祈り

キリスト教分裂に対する警告

パウロは、1コリント1章-3章で、キリスト教分裂に対する警告文を書いています。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」…などと言い合っているコリント教会は、霊的な病気にかかっていました。

また主イエス・キリストは、宗教家の権威に対して警告を与えています。宗教家は、豪華な権威ある服を着て宗教の権威を振りかざします。しかし、そのような人たちは、「先生、先生」と呼ばれることを好み、上座に座ることを喜びとします。

キリストの弟子であるクリスチャンに、そんなことがあってはなりません。クリスチャンの師はイエス・キリストだけです。地上の者を「父」と読んでもならないのです。クリスチャンに上下関係ははなく、皆兄弟姉妹なのです(マタイ23章1節-12節)。

2世紀以降、宗教改革、そして近代の聖書神学者たちから、私たちはいろいろなことを学べます。そこに優劣はないはずです。しかし、教派・教団は、そこに優劣をつけてある宗教改革者の神学を信仰の規範としているのです。信仰の規範があるとすれば、主イエス・キリストだけです。なぜなら、主イエス・キリストは、信仰の創始者であり完成者だからです(へブル12章1節-2節)。

クリスチャンは、新約聖書の手紙から、多くの知恵を学びます。その手紙が、神の霊感によって書かれたからです。しかし、パウロもヨハネもペテロも、霊感に導かれず自分の知恵に頼ったときには過ちを犯しました。なぜなら、彼らも罪人だったからです。主イエス・キリストだけが、罪を犯さず完璧に生きたのです。クリスチャンは、この方以外の弟子にはなれません。

主イエス・キリストの祈りークリスチャンの一致に応えましょう

聖書を解説サイトは、そんな教派の些細な意見の違いでキリスト教が分裂しているのは、神の御心ではないと信じています。主イエス様はクリスチャンの一致のために祈りました。父なる神と主イエス・キリストがひとつであるように、クリスチャンもひとつになるように、主イエス様は2000年前に父なる神に願いました。この祈りは今も有効です。神の御心です。

1.主イエス・キリストの福音メッセージのコア(共通認識)の部分に焦点をあてます

聖書を解説サイトは、教派でいえば「キリストの教会」という群れに属しています。しかし、教派の些細な違いなど問題ではありません。そんな教派の壁など、いっしょに壊してしまいましょう。

使徒パウロによれば、福音とは主イエス・キリストの死と復活です(1コリント15章)。主イエスがわたしたち人間のための罪のために死なれ、死から復活したことが、福音のメッセージなのです。それ以下でもないし、それ以上でもありません。

当サイトは、この福音メッセージに教派の教理を付け加えることは致しません。主イエス・キリストは、そんなことを望んでおられません。むしろ、主の名によっていっしょに集まり、いっしょに礼拝するように望んでおられるのではないでしょうか。

2.ある特定の教派の教理だけを強調しません、その教理に縛られません

プロテスタント諸教会には、宗教改革以降、発達してきたカテキズムという伝統があります。各教派は、自分たちの教理を信者にわかりやすく教えるために、聖書以外に副読本を作っています。これがカテキズムです。日本語では教理問答とも訳されています。

もし教会に通い始めたあなたが、この副読本に異論を唱えたらどうなるでしょうか。これだけ違った教派があり、違った教えがあるのだから、信者は異論を唱える自由をもっているはずです。もしあなたが異論を言い続けていたら、教会はどのような対応をとるでしょうか。おそらく、あなたは他の教派にいくように勧められます。しかし、このようなキリスト教が、神の御心でしょうか。

3.教派に囚われないクリスチャンは、キリストの弟子です

クリスチャンは、キリストの弟子です。ルーテル教会のメンバーであっても、もしその方が本当のクリスチャンであれば、マルチン・ルターの弟子ではありえません。カルヴァンの弟子でもありません。ルターの聖書解釈に、すべて賛成できなくても何の問題はないはずです。なぜでしょうか。クリスチャンの師であり先生は、主イエス・キリストだけだからです。

新たな視点でキリスト教を見てみましょう

キリスト教を新たな視点で見てみましょう。新しい契約下では、一人一人が主イエス・キリストを通して神との関係を持っています。それぞれのクリスチャンが、神を知るために聖霊が与えられています。ルターやカルヴァンの本を読んで、神を知るのではありません。クリスチャンは、すでに神を知っているのです。

このページでは、クリスチャンの在り方と立ち位置を検証してみました。いかがでしたか。新しい視点で、キリスト教とご自分の信仰を検証してみませんか。

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