コンテンツへスキップ 投稿日:2024年5月28日/更新日:2024年5月28日

試練の意味

人生の試練は、必ずしも単なる苦しみではなく、時に、私たちをいい意味で訓練し、成長・成熟させ、結果として、私たちに人生の開花や結実をもたらすものとなるのではないだろうか?「鷲は昔、翼がなかった」というおとぎ話を通して考えてみたい。

おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後(のち)になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平安に満ちた実を結ばせるのです。              (へブライ人への手紙12章11節)

ヘブライ人への手紙12章11節 聖書協会

梅雨の季節、六月になりました。雨も多く、湿度があり、いわゆる不快指数の高い日々が続くことになります。しかしながら、「恵みの雨」という表現もありますように、梅雨の季節もまた、私たちに必要な恵みであることをも前向きに覚えたいものです。と同時に、私たちに突如、襲ってくる人生の試練も、単なる苦しみではなく、時に、私たちをいい意味で訓練し、成長・成熟させ、結果として、私たちに人生の開花や結実をもたらすものとなるのではないでしょうか?

 「鷲は昔、翼がなかった」というおとぎ話があります。・・・翼がない状態で大きな身体をゆさゆさと揺らして、二本足だけで自らの巨体を運ぶ鷲の姿を想像してみて下さい。

ある日、そんな鷲の姿を見かねた神様が鷲を呼び止めて、言いました。「鷲、お前にプレゼントをやろう」。「えっ、ワシに!?」と鷲は言ったとか、言わなかったとか。そんな鷲に神様は、「これがプレゼントだ」と言って、肉の塊のような何かを背負わせたというのであります。鷲は嬉しくなって、飛んで帰ったと言いたいところですが、翼のない時代の鷲ですから、喜んでスキップして帰っていきました。

野口良哉伝道者 「主イエス様からのメッセージ」

ところが、しばらくして、鷲は悩み始めました。と言いますのも、鷲は神様によって背中に背負わされたプレゼントの意味が分からない。それは日に日に重みを増すように感じられ、ついに、それは喜ばしいプレゼントではなく、全く嬉しくない、文字通り、「重荷」でしかなくなってしまったのです。しばらくそんな日々が続いた後、鷲は意を決して、断崖絶壁へと足を運びました。そして、崖下を見下ろしては、ここから飛び降りれば楽になれるかもしれないとでも思ったのでしょうか?

すると突然、鷲の背後から期せずして突風が吹きつけてきました。鷲はその風に煽られ、なんと期せずして、崖の下に転落してしまったのであります。鷲ももう一巻の終わりかと諦めかけた、その瞬間、鷲の背中に背負わされた重荷、いやプレゼントが正体を現しました。実は、あの肉の塊のようなものは翼だったのです。風を受けた翼は徐々に反応し、激突寸前にファッと開いて、鷲は急上昇。それ以来、鷲はそんな翼をかって、大空を自由に飛び回ることができるようになった、というのであります。

 私たちにとっての人生の試練は、もしかしたら、この鷲の翼のようなものなのではないでしょうか?

 読んで下さいましたあなたに、神様の平安が豊かにありますように。

シャローム!

御茶の水キリストの教会 野口 良哉

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