教会に行かないクリスチャンの4つの理由

教会に行かないクリスチャンの4つの理由を、わかりやすく説明します。教会に行くべきだと勧められ、教会に行き始めたクリスチャンが、教会に行かなくなります。なぜでしょうか。1.教会のブラック化、精神的プレッシャーを受ける、2.教会メンバーに偽善を見てしまう、3.人間関係に疲れる、4.普遍的な教会で十分だと考えている。

1.精神的プレッシャーを受ける

教会はブラック企業と同じ体質をもっていると告発されています。教会はブラック企業と同じ構造、私が教会を離れた理由 ブラック企業のパワハラと同じ構造 教会のブラック化は、どのくらいで進んでいるんでしょうか。一般企業のように、公表されることを望みます。

多くのクリスチャンは、絶対的な倫理観をもっています。その倫理観を人に押し付けてしまいます。善意でいうアドバイス「~した方が良い」、「~してはダメ」、「そんなことをやっていたら成長しませんよ!」も一歩間違えばパワハラです。特に牧師からそのようなアドバイスを受けると、多くの方々は反論できないと感じます。結果的に、パワハラを感じてしまうのです。

「牧師が言うことは、大体何でも正しいと受け取られまかり通ってしまう」教会が多いのは確かです。「もしかしたら違うかも?」と多くの方が思っていても、牧師に逆らうのは、白い目で見られそうだから黙っているということがあるようです。このような教会から離れる人の確率は高いでしょう。

「教会で奉仕をしている人は成長している」と奨励されます。よく考えると、この励ましは非常にカルト的です。人を(おそらく無意識ですが)コントロールしようとする表現です。教会は、基本的に自分の自由意思で集まった共同体です。そこには強制はないはずです。しかし、教会奉仕という見えない強制、プレッシャーが、不健全な教会にはあります。そのようなパワハラを受けているクリスチャンは、当然嫌気をさして教会に行くのをやめてしまいます。

2.教会メンバーに偽善を見てしまう

多くのクリスチャンが、クリスチャンだけが正しいと考え、それが態度にも言動にでてしまっています。自分たちも罪深い罪人であるという謙虚さがない自信は、偽善に見えてしまいます。この問題は、ブラック化した教会に限った問題ではありません。

偽善は、クリスチャンが深刻に考えなければいけない課題を投げかけています。教会メンバーが「自分たちクリスチャンだけが正しい。聖書だけが正しい。他の宗教はすべて間違っている」と考えてる態度を、新しく教会に行き始めた方が見てしまうのです。イエス・キリストの絶対的な権威を強調するがあまり、他の宗教や考え方を見下しているのです。しかし、そのようなクリスチャンが聖書を教えを実践しなかったらどうでしょうか。それは偽善と言われてしまいます。

「隣人を自分のように愛しなさい」と諭しながら、常に他人を批判する話を聞いていたら、多くの人たちが教会から離れて当然ではないでしょうか。他を見下し自分自身を引き上げるのは、罪人である私たち人間がやりがちなことです。教会に行き始めた方、または未信者の方は、そのくらいのことはすぐに見分けてしまうでしょう。そのような偽善的な教会に誰が行き続けたいと思うでしょうか。

3.人間関係に疲れる

社会に出て働き人間関係で疲れている人たちが、教会に安らぎを求めてやってきているのに、教会でネガティブな人間関係を見たらどうでしょうか。もうそこでウンザリです。当然、そのような場所では信頼関係は築けません。結果的に、教会には絶対もう行かないと決めるのです。

モラハラ、パワハラを受けて、さらに教会メンバーに偽善的な態度を見た人は、教会内で誰か相談したいと思います。牧師からパワハラを受けた人であれば、牧師には相談に行きません。しかし、牧師のパワハラを教会内で誰にできるでしょうか。牧師批判になりかねないことを、相談はできないのでしょう。結局、誰にも相談することをなく、教会を去って行ってしまうのです。

教会に行かないクリスチャン

人は、それぞれ欠点や短所があります。至らないところばかりだと感じている人もいます。教会に行くのをやめる人たちは、そのような自分のありのままを受け入れてくれていると感じられないのです。自分が描いていた主イエス様の教会とは、まったくかけ離れていると実感します。このような人は、教会に来てモラハラを受け、逆に自分の欠点が明らかにされて、苦しみを経験してしまうのです。誰がこのような教会に行き続けたいと思うでしょうか。

4.普遍的な教会で十分であると考えている

1~3の体験をした人たちは、結果的に「人が集まっている教会には行きたくない。その方が安心できる。あのような嫌な思いは、もう二度としたくない」と思うでしょう。そこで人と人のつながりが、比較的浅い普遍的な教会で十分である、と考えるようになります。

コロナ禍が始まって以来、教会のネット化が急速に進んでいます。このような時代では、ネットを通して他のクリスチャンとつながることは可能になっています。ローカルな教会のメンバーになっていなくても、普遍的な教会のメンバーであるという自覚があるクリスチャンは、教会に実際に足を運ぶことに意味を見出しません。

教会に行かないと決めた人たちは、ローカルな教会のメンバーになってまでルールや規則に縛れたくはないのです。むしろ、普遍的な教会でクリスチャンでいる方が、もっと健全だと考えるようになります。

このように、キリスト教を霊的なつながりと考えれば、教会という物理的なつながりは全く必要ないという結論に達します。ローカルな教会で嫌な思いをした人たちは、物理的な教会にまったく意味を見出してはいません。つまり、「主イエス・キリストとの霊的なつながりは、物理的な教会を通して成されるものではない」という結論に至るのです。

結論

せっかくクリスチャンになって教会に行き始めて、教会に躓いていては本末転倒です。教会は、良い人間関係を作るのを教えてくれる場です。謙虚な態度で、裏表のない純粋な心をもって、神を礼拝する場でもあります。そのような場で悪いお手本を、たくさん見たら、気持ちが落ち込むのも無理はありません。教会に行くと逆に落ち込む、と感じるのも当然です。

教会に幻滅を感じている方は、ぜひ次の2つの記事を読んでみてください。

三位一体の神である父、子、聖霊が教会の中で働いてくださり、教会を整えてくださり、各クリスチャンが整えられるようにお祈りします。

3 comments

  1. 俺はいるかいないかもわからない神に愛されるよりも
    まずキリスト教、クリスチャンというヤクザ組織を
    社会から徹底的に排除するほうが先だと思う

    生活費というものは、労働の対価に得るものであって
    人様の収入から1割をかすめ取って回って得るものではない
    それを、さも当然の権利どころか
    神が信者に与えたもうた義務であるかのように言いつのり
    ことあるごとにねちねち金を要求する牧師などというものは
    とんでもないドグサレだ
    そしてしたり顔で自分の意に沿わない人間に
    地獄行き、悪霊に憑かれていると言いつけて回る
    ヤクザそのものだ
    いや、ヤクザより悪質だ
    こんな腐ったヤクザ連中であるクリスチャンや牧師に
    社会は居場所を与えてはならない
    断じて

    神の愛、神の赦し
    そんなものは今はいったん脇に置くのだ

    神の愛を語るその口がついている牧師の体が
    金取り、脅し、洗脳、パワハラ、宗教ハラ、
    あらゆる卑劣に手を染めている以上、
    もう宗教もくそも関係ない
    クリスチャン・ブログの書き手
    牧師、神父、クリスチャン活動家は
    それこそナチスがユダヤ人を追い詰めた時のように
    社会の総意として逮捕し
    ガス室に送ってやればいい

    平日働いて日曜しか休めないでいる労働者に向かって
    日曜は教会にきて俺様を気持ちよくさせろ
    俺の自慢話を神の声として聴け
    金をよこせ、とふんぞり返る牧師という職業についている者を
    神なんざ関係なしに社会の常識として
    徹底的に排撃しなければならない
    もう神の愛などというファンタジーの入り込む余地はない
    犯罪者は処刑するだけ
    それだけ

    神の愛などという言葉は、犯罪を犯して逮捕されたくないからと
    口から出るごまかしのでたらめだ
    殺しはしないが服役はさせなければならない
    犯罪者が服役するのに神の愛はいらない
    ただ社会の中で人をなめた生き方をして神の代行者でいるつもりの人間を排除することの
    何がいけないのか?

    反論してみろ
    金取り恫喝洗脳が生業の牧師を擁護してみろよ

    1. コメントしてくださり心から感謝いたしますあ。おっしゃる通り、カルト的に洗脳しようとするクリスチャンを名乗る教会は存在します。しかし、そのような教会は偽物です。主イエス様の弟子である本物のクリスチャンは、パワハラや脅しなどしません。

  2. 私たち人間は霊的に生きています。教会も霊的に生きています。生きているということは、病気にもなります。健全な教会もあれば、病気の教会もあります。その辺を割り切って考えれば、健全な教会を見極める目も養われると思います。読者の皆様の上に主の豊かな恵みが宿りますように。

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