コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月14日/更新日:2023年5月4日

宗教ではなくて主イエス・キリストを

宗教ではなくて主イエス・キリストを

宗教のキリスト教ではなくて、純粋に主イエス・キリストだけを伝える時が来ているのではないでしょうか。今こそ、主イエス・キリストをすべての人間が必要としている時代です。

宗教臭さを消して、主イエス・キリストの福音を

今の日本に必要なのは、人々の命を救う主イエス・キリストの福音です。人間が作るキリスト教では、人を救う事はできません。いっそのこと宗教臭さを消して、純粋な主イエス・キリストの教えを宣べ伝える時期に来ているのではないでしょうか。

戦後、様々な教派から宣教師が送られてきました。福音メッセージが伝えられました。しかし、教派は日本でさらにケンカ別れをしてさらに分派分裂につながったのです。そのような事をしていて、キリストの福音を伝わるでしょうか。

カトリックもプロテスタントの原則も福音ではない

あるプロテスタントの牧師さんが「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」をこれこそ真理であると主張していました。しかしこれはキリストの福音ではありません。一方、カトリック教会は、教会の権威を旗印にカトリック教会のメッセージを語っています。「我こそが本物の教会である」と言っています。しかしこれもキリストの福音ではありません。

教派や教団の特有のメッセージを伝えても、主イエス・キリストの福音が伝えられなければ意味がありません。そもそも主キリストの福音は、そのような教派の利害関係など無意味なものと教えているのではないでしょうか。そのような論争をする暇があれば、教派の壁を越えて主イエス・キリストの福音を宣べ伝えるべきです。

主イエス・キリストがすべての中心メッセージ

戦後、福音宣教が始まってから80年近く経っていても、クリスチャンの総人口は、日本総人口の約1%以下です。福音派の各教派が集まって超教派といっても、所詮はそれは福音派です。超教派でも何でもないのです。内輪でお祭り騒ぎをやっているだけです。そのような形だけの超教派ではなくて、カトリックもプロテスタントも、主イエス・キリストがすべてのメッセージの中心にあるべきです。

私が奉仕する教会はプロテスタントに部類にはいりますが、私はカトリックの方々からも学ぶことができます。彼らと同じ方法で礼拝はできなくても、彼らの信仰を敬います。主イエス・キリストという共通点があるからです。それだけで十分ではないですか。

分派分裂を起こすような教理を、敢えて私たちが宣べ伝える必要があるのでしょうか。それぞれの教派の牧師によって意見の違いがあるような教理・原則を宣べ伝える必要があるのでしょうか。当サイトでも様々な教理を解説していますが、主イエス・キリストが中心メッセージでなければ、当サイトの存在も無意味です。

「宗教ではなくて主イエス・キリストを」への4件のフィードバック

  1. アーメン。どうか今日も私達が主の御心に従順に歩めますように。イエス様ご自身が神さまに従われたように、私達も倣い従えますように。

  2. アーメン。
    教団教派の分裂を体感的には感じない環境で過ごしているのでそうなんだなぁくらいの感じですが、私も学べるものはカトリック、プロテスタント関係なく学びたいと思ってます。

  3. 主イエス様は、クリスチャンの一致を(父と子が一致しているように)祈っていますが、それとは程遠いです。キリストの歴史は、論争、争いの歴史です。人間の罪ゆえですね。大浦兄弟姉妹とも、聖書を共に学べる時が来るように心からお祈りしています。

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