人間の罪は様々な状況で現れます。その罪深さは、私たち人間が心で犯してしまう罪に現れます。心の中で考えるだけなので、目に見えません。周りの人も知りません。他人の不幸を見て内心ホッとすることです。
敵が倒れてニヤッと笑う罪深さを悔い改める
普段から敵対している人が、失敗したり困難に直面していたらどのように思いますか。罪深い私たち人間は、思わずほくそ笑むかもしれません。「ざまあみろ!」と内心思う人もいます。他の人にはまったくわからないように、私たちはその感情を押し殺します。しかし、天の神様は私たちを見ています。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。ローマ12章19-21節 聖書協会
敵が倒れたら、助けるように命令されています。私たち人間は、ギブアンドテイクという利害関係に基づいて人間関係を築くことが多いのです。ですから善には善を返す、悪には悪を返すという関係が普通に成り立ちます。
「目には目を、歯には歯を、命には命を」という聖書の言葉を誤解して、多くの方々が人間には「悪には悪を返す」権利があるという考えています。この言葉は警告です。悪を行う人に対する神様の裁きがあるという警告です。
むしろ、私たちは裁きを神様にお任せします。これが神様の御心です。なぜかと言えば、裁きのわざは神様の特権行為だからです。私たち人間に人を裁いたり復習したりする権利などありません。キリスト者の生き方の素晴らしさは、私たち自身が善行をするからではなく、神様の恵みと知恵にあります。罪深さを認識して、悔い改めましょう。
他人の不幸を見て内心ホッとする罪深さを悔い改める
生きている限り、様々な困難と試練を経験します。自分たちの力では防ぎようがないこと、たとえば自然災害が襲うことがあります。ニュースには出てきませんが、世界中で内戦や戦争が起きています。そのようなニュースを見る時に、私は内心ホッとしてしまいます。自分の地域でなくて良かったと思ってしまうのです。
その方々のために祈るために神様の方に目を向けるのではなくて、自分の安全をまず考えてしまいます。ここで視点を変えてみましょう。
私たちに何が起きようと、たとえば、身内の不幸であろうと災害であろうと、それは神様の御心の範囲内です。明日をも知れない命を、私たちは贈り物として頂いています。私は自分の力で生きているのではく、神様によって生かされているに過ぎません。その生かされている命を、神様のために使おうと思います。生かされている自分が今出来ることは何でしょうか。健全な心を保つためにどんな事に心がけることが出来るでしょうか。
- 神様の恵みによって生かされていることに感謝しましょう。
- どんな状況にあろうとも、キリストの弟子はこの世に宝を積むのではなくて、天に宝を積んでいることを信じましょう。
- 主イエス様に常に目を向けて慕い求めましょう。
- 自分の隣人を自分を愛すように愛せるように日々悔い改めましょう。
- 罪深い世の中にあっても、神様は人々を愛しておられます。神様の愛に感謝しましょう。
ローマの手紙
人の不幸を見聞きして自分でなくて良かったとほっとすることはありますね。まさに罪ですね。そんな時神様に目を向けられる私に変えて頂けるように祈りたいと思います。
私たちが本当に無意識に犯してしまう罪ですね。「そんな細かい事まで神様は気にしていないよ」という人がいるかもしれませんが、私は神様ではないですからそんなことは言えません。日々、出来ることをやるだけです。もし出来ることさえ、やっていないのであれば、神様が鍛錬してくださるように祈っています。