コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月19日/更新日:2023年5月5日

他人の不幸と自分の罪深さ

他人の不幸と自分の罪深さ

人間の罪は様々な状況で現れます。一番残酷ですが、私たち人間が心で犯してしまう罪です。心の中で考えるだけなので、目に見えません。周りの人も知りません。他人の不幸を見て内心ホッとすることです。

敵が倒れてニヤッと笑う罪深さ

普段から敵対している人が、失敗したり困難に直面していたらどのように思いますか。罪深い私たち人間は、思わずほくそ笑むかもしれません。「ざまあみろ!」と内心思う人もいます。他の人にはまったくわからないように、私たちはその感情を押し殺します。しかし、天の神様は私たちを見ています。

あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。

箴言25章21-22節 聖書協会

敵が倒れたら、助けるように命令されています。裁きは、神様にお任せするのです。これが神様の御心です。

他人の不幸を見て内心ホッとする罪深さ

生きている限り、様々な困難と試練を経験します。自分たちの力では防ぎようがないこと、たとえば自然災害が襲うことがあります。ニュースには出てきませんが、世界中で内戦や戦争が起きています。また自然災害があちこちで起きています。そのようなニュースを見る時に、私は内心ホッとしてしまいます。自分の地域でなくて良かったと。

その方々のために祈るために神様の方に目を向けるのではなくて、自分の安全をまず考えてしまいます。ここで視点を変えてみましょう。

生かされている自分が今出来ることは?

私たちに何が起きようと、たとえば、身内の不幸であろうと災害であろうと、それは神様の御心の範囲内です。明日をも知れない命を、私たちは贈り物として頂いています。私は自分の力で生きているのではく、神様によって生かされているに過ぎません。その生かされている命を、神様のために使おうと思います。生かされている自分が今出来ることは何でしょうか。

敵が倒れてニヤッと笑うのではなくて、他人の不幸を見てホッとするのではなくて、そのような時こそ、神様の方に目を向けなければならない、と私は最近特に思います。読者の皆様はどうでしょうか。

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「他人の不幸と自分の罪深さ」への2件のフィードバック

  1. 人の不幸を見聞きして自分でなくて良かったとほっとすることはありますね。まさに罪ですね。そんな時神様に目を向けられる私に変えて頂けるように祈りたいと思います。

  2. 私たちが本当に無意識に犯してしまう罪ですね。「そんな細かい事まで神様は気にしていないよ」という人がいるかもしれませんが、私は神様ではないですからそんなことは言えません。日々、出来ることをやるだけです。もし出来ることさえ、やっていないのであれば、神様が鍛錬してくださるように祈っています。

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