静かな湖で平和を感じることは出来ますが、それは一時的なものです。ピースメーカーとして、主イエス・キリストご自身が、平和を実現した方です。主キリストのついて行く弟子として、キリスト者はどのように平和を実現できるのでしょうか。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。マタイ5章9節 聖書協会
世界平和は誰もが望むことです。テロを起こしている人たちでさえ、彼らの正義の名のもとに、彼らが考える世界平和を求めています。しかし、私たち人間の力で恒久的、究極的な世界平和を実現することはできません。政治の力で、あるいは人間の知恵や哲学で、恒久的な平和をを作ることはできません。
主イエス・キリストは、最大の平和実現者
歴史上、最大の平和実現者は主イエス・キリストです。主イエス様は、罪を犯し続け神様の敵になっている人間を憐れみ、自らを罪のいけにえとして犠牲になられました。その結果、この混迷した世の中においても、平和がもたらされました。
主イエスは、神の敵であった人間に平和を与えた
人は誰でも一度は創造主なる神から離れ、神の敵として生きていきます。神の敵であるがゆえに、神ではない物に救いの助けを求めます。ある人たちは、偶像に助けを求めるでしょう。またある人たちは、この世の富に救いを感じるかもしれません。
参照記事 ローマ1章18-25節。神の創造と偶像礼拝、マタイ6章19-21節 天に宝を積む いつの時代でもある偶像礼拝の愚かさ
しかし、偶像にしてもこの世の富にしても、それらは私たちを罪の奴隷状態から救うことは出来ません。主イエス・キリストだけが、私たちの心に平安を与えてくださるのです。なぜでしょうか。それは、天のお父様で神が、敵であった人間をその人のキリストへの信仰ゆえに罪を赦し、平安を与えているからです。この平和は一時的なものではなく、永遠の御国へとつながる平和です。主キリストを信じる人は、神様と正しい関係、平和の関係をもてるようになったのです。罪の呪縛から完全に開放されたのです。
主イエスは、敵対していた人間関係に平和を与えた
創造主なる神から離れて生きるゆえに、人間は人間同士で敵対関係を持っています。この罪ゆえには、世界中で戦争や争いごとがあちこちで起きているのです。今、世界のモラル、道徳観は罪の影響で乱れています。世界中で毎日、殺戮が起きているのです。人間は恒久的な平和を求めますが、不可能です。
参照記事 闇バイトに生きる10代、20代の若者たち
主キリストだけは、神と人間の間に平和をもたらしただけでなく、主キリストを信じる人の人間関係にも平和をもたらしました。敵対関係からお互いに赦しあう関係へと変えられたのです。主キリストが愛したように、お互いに愛し合いなさいと命じられています。人は、主イエス様の仲介を通して和解し、お互いに赦し合える関係をもてるのです。
参照記事 ヨハネ13章34-35節、互いに愛し合う、教会に行く聖書的な意味と理由、神の祝福を受ける人生の方程式
主キリストは、教会というコミュニティー、共同体をキリストの弟子のために作りました。この共同体の中で人は成長していくのです。
キリストの弟子は、どのように平和を実現するでしょうか
平和を実現する人とはどんな人でしょうか。もちろん、主イエス・キリストが平和を実現したように、キリスト者も平和を実現すべきでしょう。
神との平和を実現するように、人にキリストの福音を伝える
キリストの弟子の共同体である教会は、福音宣教の使命を負っています。すべてのキリストの弟子が伝道者や牧師の役割を担っているわけではありませんが、平和の使者である主イエス・キリストの福音を宣べ伝える使命を負っています。
平和を実現する人とは、キリストの福音を宣べ伝える人です。とは言っても、聴く人すべての人が福音を受け入れるとは限りません。しかし、神様の平和のメッセージが人々に宣べ伝えられるところには、平和が宿ります。たとえ、一時的に福音を拒否した人でも、平和の福音を受け入れるかもしれません。そこには希望があります。
クリスチャンは、神様と人間の関係において平和を祈ります。ある人の罪のために悲しみ祈り、またその人に悔い改めるように励ますでしょう。平和が実現するように、希望をもって祈ります。
参照記事 エペソ3章10-13節。教会の起源と役割
人間関係に平和が実現するように、主キリストが仲介に入ってもらえるように導く
キリストの弟子は、身近な人間関係、人間社会において平和をもたらすように求められています。
教会に集っている人たちは、その信仰ゆえに罪は赦されていますが、罪人であることには変わりはありません。人間関係が、最悪にこじれてしまうこともあるのです。その様な場合に、敬虔なキリスト者は、人と人の間に入って仲裁し、お互いに認め合い、赦し合うように教え導きます。お互いの誤解を解くように促しその人たちと共に祈るでしょう。この働きが平和の実現です。このような人は、神の子と呼ばれます。
神の子とは?
神の子とはどのような意味でしょうか。神の子(英語ではsons of God、原語ギリシャ語では uioi Theou)と訳されています。新約聖書の原語であるギリシャ語のこの単語(uioi)は男性名詞ですが、男女が差別されているわけではありません。この単語が使われているのには意味があります。
1世紀のユダヤ社会において「子uioi」には親の人格を受け継ぐ、親の祝福を直接受ける特権が与えられていると考えられていました。つまり主イエス・キリストは、男女の区別なく、平和をもたらす者は神の子と呼ばれ祝福を受けると宣言したのです。
21世紀に生きるキリストの弟子たちも、神の子供と呼ばれています。なぜなら、弟子は間接的にも直接的にも神の愛を人々と分かち合っているからです。今日も、主イエス・キリストにとどまってキリストの福音に示された愛を分かち合いましょう。