専門知識なしで新約聖書を正しく理解する方法を解説します。新約聖書は、古代ローマ帝国の時代、1世紀のクリスチャンによって書かれた文書です。その当時に文化的背景や歴史的背景を知っていれば、より深く学べます。しかし、初心者には無理な話です。そこで簡単に新約聖書を理解する原則を教えます。
1.最初は字義通りに読む
一番目の原則は、当然のげんそくですが、「文字通り、字義通りに読む」ことです。最初に、聖書の言葉をストレートに読んでみましょう。たとえば、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14章1節)は、文字通りに読んでみましょう。
2. 読んだ聖句の意味を、自分に当てはめて考えてみる
では14章1節の意味を考えてみます。イエス・キリストの真意は何かを考えてみます。さらに、自分に当てはめて考えます。なぜならば、聖書の言葉は、読んでいる人の人生を変えるメッセージが含まれているからです。たとえば、「私は神を信じているだろうか。イエス・キリストを信じているだろうか」と自問自答してみましょう。
3.誇張されている箇所を見分けて、字義通りには読まない
しかし、字義通り読んではダメな個所も、聖書には多々あります。その辺の区別は、カタカナ英語でいえばコモンセンスです。常識的感覚で読む必要があります。
たとえば、マタイ5章27節-30節はどうでしょうか。姦淫の罪についてキリストは話しています。もし、右の目や右の手が、あなたに罪を犯させるなら、そんなものは切って捨ててしまいなさいと、教えています。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましな訳です。これを聞いて、目をえぐり出した方がいいのでしょうか。もちろん、これは誇張です。これを本当に実行していたら、多くのクリスチャンの男性が盲人になってしまいます。この聖句は、罪を犯すことが、神の目からどれほど重大であるかを言い表しています。
4.たとえを用いて教えられている部分を、常識的感覚で解釈する
たとえを用いて真理が説明されている部分が、福音書には多数あります。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2章17節)
罪人は病人にたとえられています。これらのタイプの聖句は、常識の範囲内で正しく解釈できるでしょう。キリストが使うたとえには、専門的な区別として比喩(種まきのたとえ)と隠喩(あなたは地の塩である)がありますが、その区別はここではしません。
特にヨハネの福音書では、イエス・キリストは自分自身の立ち位置を、たとえを用いて解き明かしています。
- わたしは命のパンです(ヨハネ6章35節)。もちろん、物理的なパンを指しているのではありません。キリストがすべての人間のニーズを与える方であると言っているのです。だから、群衆が無料のパンを求めてキリストを追いかけてきたとき、次のようにキリストは言います。「パンのような朽ちる食べ物のためにではなく、永遠の命に至るもののために働きなさい」と。
- わたしは世の光である。わたしに従う物は暗闇の中を歩かず、命の光をもつ(ヨハネ8章12節)。世を照らす光、人の心を導く光として、たとえられています。
- わたしはぶどうの木、わたしの父は農夫である(ヨハネ15章1節)。1世紀のイスラエルにおいて栽培されていたぶとうの木にたとえて、イエス・キリストはぶどうの木であり弟子たちは枝である関係が説明されています。つまり、キリストから離れては、弟子たちは何もできない真理が解き明かされているのです。
5.たとえ話で解き明かされている真理を、たとえ話の全体の文脈から解釈する
たとえ話では、人間が神の御心に従って生きていくための原則が、1世紀のユダヤ人の文化と生活様式に例えられて説明されています。一番わかりやすいたとえ話は、種まきのたとえです。マルコ4章1節-20節を読んでみましょう。
ほとんどのユダヤ人たちは、農業を本業としていなくても農作業に従事していました。ゆえに当時の人たちはこのたとえ話を容易に理解できたでしょう。
- 4種類の土壌は、4種類の人の心をあらわしています。
- 種をまく人は、神の御言葉をまきます。
- 道端は、サタンが来て御言葉を奪い去るような人。
- 石だらけの土壌は、神の御言葉を聞いてすぐに受け入れるが、根がないためにすぐに躓いてしまう人。
- 茨の中の土壌は、神の御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑によって、実をみのらせない人。
- 良い土壌は、神の御言葉を聞いて、30倍、60倍、100倍にも実をみのらせる人。
このたとえ話のポイントは何でしょうか。キリストの真意はどこにあるのでしょうか。まず第一に、神の御言葉を聞く人は、4種類の違った反応を示すということです。同じ御言葉を聞いても、それぞれ受け入れる人、受け入れない人、つまずく人、良い実を結ぶ人がいる事実を語っています。その理由は、人それぞれの土壌、心の状態にあると教えているのです。
6.手紙を読むとき、手紙の内容から5W1Hを読みとる
新約聖書の半分は、1世紀の諸教会に書かれた手紙です。手紙を正しく解釈することは、神の御心を理解するための必須事項です。5番目の原則として、手紙の文脈を読みとりましょう。文脈を読みとるとは、英語で言うところの5W1Hを見極めることです。それぞれの文献によって5W1Hは違います。誰が、何を、どこで、いつ、何の目的のために、どのように書いたのかを、その手紙から読みとるのです。
1番目の原則は、「何が書かれているか」に焦点を当てます。この5番目の原則は、「なぜ書かれているか」に焦点を当てます。
1日1章で新約聖書の手紙を読んでいる人がいますが、デボーションとして良いかもしれません。しかし、手紙全体の文脈と意味を解釈をするためには、妥当な方法ではありません。手紙の全体を1回で通しで読むことをお勧めします。そうすると、手紙全体の文脈がより明確になります。
7.祈りながら考えて読む

最後は、「御言葉の意味を教えて下さい」と祈りながら、考えて読む習慣を身につけましょう。最後になりましたが、その重要さは最後ではありません。この習慣は神様が私たちに与えてくださっています。日々実践して神様の祝福を受けましょう。
いかがでしたか。専門知識なしでも、誰でも新約聖書を理解して、実践生活に役立てる原則7つを紹介しました。読者の皆様の上に、主キリストの尊い愛が注がれますように、心からお祈り申し上げます。