コンテンツへスキップ 投稿日:2022年3月15日/更新日:2025年1月5日

旧約と新約の関係 継続性と非継続

森林につながっている橋

旧約聖書と新約聖書の関係は、継続性と非継続性という2つの言葉で説明できます。一見、矛盾しているように聞こえるかもしれません。しかし、お読みになって頂ければ、聖書66巻(旧約39巻、新約27巻)に、この2つの概念がピッタリおさまることを理解して頂けると思います。

継続性の関係

旧約聖書ヘブル語

最初に、旧約聖書と新約聖書の継続性について考えてみましょう。旧約聖書に啓示されている神も、新約聖書に啓示されている神も、まったく変わりはありません。神は、永遠の神であり聖なる義なる愛なる神です。神性は、変わることはありません。

さらに、旧約聖書に示されている道徳的、倫理的教え、そして信仰はそのまま引き継がれています。参照聖句は、マルコ12章28節-31節。

主キリストは、旧い契約(旧約聖書)の戒めから引用して、新しい契約の基準を述べています。一番大切な戒めは、2つの戒めから成り立っています。第一に、神を愛し慕い求める信仰と神との関係、第二に、隣人を自分のように愛する隣人愛の関係です。神への信仰と隣人愛は、新しい契約になってもそのまま受け継がれているのです。

「一番大切な戒めは何か」と主イエスは聞かれ、「2つの戒め」を与えています。なぜでしょうか。お札の裏表の関係に似ています。どちらか一方が偽であれば、それは偽札です。神が与える戒めも同じです。神を愛すと言いながら、他の人を憎むことはできません。同様に、他の人を愛していると言っても、神を愛していなければ、神との関係は成り立ちません。

非継続性の関係

新約聖書の正典

次に旧約聖書と新約聖書の非継続性について考えてみましょう。最初に、旧約聖書の出来事の順番を見てみましょう。

  1. 神は、天地万物を創造された。最初の人間、アダムとエバが創造された。
  2. ノアの時代、洪水が起きてノアとノアの家族だけが生き残った。
  3. 神は、アブラハムに3つの約束を与えた。
    1. 約束の地(カナンの土地)を与えるという約束。
    2. 大いなる国になるという約束。
    3. すべての民は、アブラハムを通して祝福を受けるという約束。
  4. 神は、預言者モーセを通してイスラエルの民に律法を与え、旧い契約をイスラエルの民と結んだ。
  5. 新しい契約について預言されている。

神のアブラハムへの預言:新しい契約に関する約束と預言

旧約聖書から新約聖書へ根本的な戒めは、引き続き継続されていますが、契約という観点からいえば継続性が絶たれています。旧い契約が終わり、新しい契約が主キリストによって成就されました。主キリストが、人間の罪の贖いのために十字架上で死んで死から復活して、神と人間の仲介者となりました。この時から新しい契約の時代が始まったのです。

新しい契約に関する預言は、旧い契約が結ばれる以前に、イスラエルの先祖であるアブラハムに約束として与えらています。創世記12章1節ー3節、ガラテヤ 3章6節‐8節を参考のために読んでみましょう。

地上のすべての民族は、アブラハムを通して神の祝福を受けると預言されています。この意味は何でしょうか。これは、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって、神の祝福を受けるという預言です。

旧約聖書は旧い契約の書、新約聖書は新しい契約の書と思われがちですが、厳密にいうと、ちょっと違います。旧約聖書は、旧い契約の書だけではありません。新しい契約に関する預言が、旧い契約が結ばれる前から含まれているのです。

新しい契約に関する預言と成立過程は、次のようになります。

旧約聖書と新約聖書の関係

映画で例えれば、旧約聖書および旧い契約は第一部であり、新約聖書および新しい契約は第二部です。しかし、第二部のストーリの重要さは、第二部を見ていなければ十分には理解できません。確かに、第一部と第二部は区切られていますが、同時に映画として継続していると言えるでしょう。聖書にも同じことが言えます。

新しい契約は本物、旧い契約は影

よく旧約聖書と新約聖書の関係は、対比して考えられます。そのいくつかの例を挙げてみます。「預言と成就の関係」、「律法と恵みの関係」、あるいは「律法と福音の関係」、「物質的な契約と霊的な契約の関係」、「物質的な御国と霊的は御国の関係」といった具合です。

旧い契約の下では、羊、ヤギ、牛などといった動物が、罪の購いのいけにえとして捧げられましたが、新しい契約の下では、神の一人子である主イエスが私たちの罪の購いのために、いけにえとして捧げられました。ですから、私たちは罪のためいけにえはする必要がありませんが、その愛に応えて神様の僕として、自らを捧げることが求められているのです。このように、旧約聖書に新しい契約の大元になる形を見ることが出来ます。

総括的に聖書を読む

旧約聖書と新約聖書の継続性と非継続性をここまで見てきましたが、聖書を分割することは神の御心ではありません。聖書は、総括的に読む必要があります。旧約聖書から新約聖書から神の働きの継続性を考慮して読む必要があるのです。旧約聖書は、ちょうど舞台で言えば幕開けです。

新約聖書は、クライマックスを含めた閉幕に当たります。始めがあり、終わりがあるということです。逆説的に言いますと、始めがなければ終わりもありえないのです。第一幕と第二幕があるように、聖書にも旧い契約と新しい契約があります。神の働きの継続性を認識しつつ、契約の違いを理解する必要があります。

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