コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月25日/更新日:2025年2月5日

ローマ8章26-27節。祈りと聖霊の関係

湖の側で祈る人

前回の記事、クリスチャンの世界観についてお話をしました。罪深い世の中で生きている私たち人間は、この世で苦しむを経験するようになっています。アダムの罪以来、人間は食べるために働くようになりました。さらに、自然が牙をむいて、私たち人間を苦しめることがあります。しかし、これも神様の計画の内です。

この続きの聖句、ローマ8章26-27節をいっしょに学びます。この箇所は、前の個所からの続きです。罪深い世の中に生きる私たち人間の弱さについて語っていますが、同時に、その弱さがあっても、聖霊によって祈れる力をいただいています。今日は、祈りと聖霊の働きの関係について考えてみましょう。

祈りと聖霊の関係

同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。ローマ8章26-27節 聖書協会

この聖句は、聖霊が弱い私たちの祈りの中で働いてくださっていることについて説明しています。この祈りの原則は、教会で集まった時の祈りにも当てはまりますが、祈りは基本的に一人で行うべきです。この事を最初に学んでみましょう。

祈りは独りで   

独りで祈る原則は、21世紀のクリスチャンにも当てはまります。1世紀のユダヤ教教師たちは、人に見せるために祈っていました。そのような祈りは、神様は聞いていません。一人で隠れた所で祈っている祈りが聞かれるのです。なぜでしょうか。一人で祈るときは、私たちのすべてを包み隠さず、告白できるからです。良いことも悪い事も、悲しい事も嬉しい事もすべて、神様に告白できます。 参考記事 詳しい解説は、祈りは独りで

この教え通りに、主イエス・キリストは、朝早くから一人で祈る習慣を持っていました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1章35節)。このように祈りの基本は、一人です。でも決して一人ではないのです。それは聖霊なる神様が、私たちの心に宿っているからです。

応えられる祈り、変えられる祈り

目を覚まして祈っていなさい  

しかし、私たちには、神様に頼らず祈らない弱さがあります。

マタイ26章38-41節を読んでみましょう。

26:38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

 26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

 26:40 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。

 26:41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

主イエス様は、ご自分が十字架にかけられる前に、もだえ苦しみ祈っていました。その間、弟子たちはそばにいのたのですが、眠くなって眠ってしまったのです。

そんな弟子たちに、主イエス様は、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」と言っています。

私たちは弱い人間です。罪深い人間です。この弱さがあるからこそ、私たちは祈る必要があるのです。

神様に頼らず祈らない私たちの弱さ

私たちの弱さは神様に祈らない不信仰になってしまいます。神様を信じ、主イエス様を信じていても、神様に頼らず、自分の知恵で生きようとしてしまう時があります。

神様に祈らない時があります。祈ろうとする思いはあっても、心が負けてしまうのです。神様の思いよりも、自分の思いの方が大切に感じてしまうのです。

イエス様は、祈るときは一人で祈りなさいと教えたように、朝早く起きて、一人で祈る習慣を持っていました。私たちも真似なければなりません。実は一人で祈っても、一人ではありません。聖霊なる神様が、私たちの心に宿っているからです。 

教会に通っていても、毎日、聖書は読んでいても、もし祈りがなかったら、どのように神様とつながるのでしょうか。どのように、神様から力をいただけるのでしょうか。

祈りは、神様の御心を求める時です。祈りは、神様から力をいただく時です。私たちの祈りを邪魔しようとする悪魔に負けてはなりません。

むしろ、主イエス様の名によって祈り、神様から力をいただくのです。

私たち人間の弱さの中に働く聖霊  

ローマ8章26-27節で、パウロは、私たちが弱くても、私たちが祈る時、聖霊なる神様はとりなしをして下さり、働いて下さっていると言っています。

私たちが、うめき悩む時、私たちの心に宿っている聖霊なる神様が、私たちのうめき、叫びを聞いてくださいます。私たちが、どのように何を祈っていいのか、分からない時、聖霊は私たちの代わりに、天の神様に、私たちの祈りを天に上げてくださいます。

だから、私たちは、聖霊によって祈ることができるのです。この祈りの力は、クリスチャンにとって、とっても重要ですが、多くの方々が忘れています。

クリスチャンの第一段階と第二段階 

私たちは、この罪深い世の中で生きていて、主イエス様を信じて生きる目的と生きる意味が与えられています。神様の恵みによって救われたのです。これがクリスチャンの人生の第一段階とも言えます。

神の子どもとして生きる特権が与えられました。罪が赦され、主イエス様の道を歩んでいきます。しかし、この先には次の段階があるのです。クリスチャンとして生きる第二段階があるのですが、多くのクリスチャンが気づかずに生きています。

その第二段階とは何でしょうか。神様は、クリスチャンの心に聖霊を与えています。しかし、多くの方々が、この第二段階を忘れて過ごしているのです。なぜでしょうか。聖霊の働きを知らないからです。

先ほども言いましたが、私たちは人間の弱さゆえに、神様に頼らず自分の力で生きようとします。結果として、一人で祈るという習慣が身につきません。祈りの手助けとして、神様は、私たちに聖霊を心に与えてくださいました。

この第二段階で、祈りの習慣をつけないことには、クリスチャンの成長はありえません。祈りは自己暗示ではありません。神様との会話です。聖霊なる神様が、私たちの祈りの中で働き、私たちの祈りが聞かれ、私たちは成長するのです。

主に従う生活が必要だが・・・  

祈りと聖霊の働きを忘れてしまう原因は、もう一つあります。それは、私たちの聖書の読み方に原因があります。

ローマ6章15-19節を読んでみましょう。 

6:15 では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。

 6:16 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

 6:17 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、

 6:18 罪から解放され、義に仕えるようになりました。

 6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。

この聖句は、神様に従う生活が聖なる生活に導かれていくことを説明しています。神様の力によって、聖なる者とされるのです。神様の僕になる、神様の道具になる、神様の奴隷になることを教えています。

しかし、聖霊という言葉は出てきません。祈りという言葉は出てきません。あたかも自分の努力によって、神様の僕になるように教えられているように、私たちは感じてしまうかもしれません。

聖霊の働きと祈りによって、聖なる者とされる 

自分の努力によって、神様に仕える者になるのでしょうか。そんな事はありません。実際、クリスチャンは、自分の努力だけで成長はできません。聖霊の力を借りなければ、成長はできないのです。

弱い私たちでも、祈るときに、聖霊なる神様がとりなしをしてくださっています。天のお父さまと私たちの間に入り、聖霊が私たちの霊と共に声を上げて祈ってくださっているのです。天のお父さまに、私たちの祈りが届くのです。

たとえ、心が疲れて祈れない時でも、何を祈っていいのか分からない時でも、どのように祈っていいのか分からない時でも、聖霊に委ねて祈ってみましょう。かすかな声で、心の中で祈ってみましょう。聖霊なる神様は、私たちの祈りを聞き、天のお父さまに届けてくださいます。

このようにして、私たちは聖なる者とされていくのです。

祈りの習慣を身に着けてみよう 

独りで祈る習慣がない場合でも、安心してください。聖霊なる神様が助けてくださいます。その祈りは、ひょっとしたら、数秒の超特急の祈りかもしれません。どんなに短くても、神様は、私たちの心から出てくる祈りは聞いてくださいます。聖霊が助けてくださるからです。

祈りの習慣を持っていない人でも、聖霊の力によって日々祈れます。

良い習慣を身に着けるには、21日間かかると言われています。21日間、毎日、祈ってそれが習慣になります。

継続は力なりという諺があります。毎日、続けることによって、生活の力になっていくのです。

独りで祈る時、聖霊があなたを助けてくれる  

今日は、私たちが祈る時、聖霊が働いて下さることについて、お話ししました。私たちが一人で祈っている時、決して一人ではありません。

聖霊の働きについては、もっと考えてみる必要があります。目に見えない神様は、私たちが予想もしない方法で、働いてくださいます。不思議な聖霊の力によって、私たちを導いてくださいます。

私たちが心の底から祈る時、聖霊が働いて下さり、神様は私たちの祈りに耳を傾けています。さらに聖霊は私たちの心を清めて下さり、天のお父さまは、私たちを清い者として、聖なる者として受け入れて下さるのです。

今週も一週間、聖霊によって満たされて、主イエス様について行きましょう。素晴らしい恵みが、天のお父さまによって与えられます。主イエス様は、聖霊を通して、私たちと常に共にいてくださっています。

主イエス様を信頼して、過ごしましょう。そして、もっと大きな恵みが与えられます。期待して待ちましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です