コンテンツへスキップ 投稿日:2023年8月18日/更新日:2023年8月19日

人の知識を超えた神の救いの計画

横田キリストの教会は、「キリストの教会」という群れに属していますが、教派に囚われていません。この記事では、ローマ8章29-30節から、人の知識を超えた神の救いの計画について吟味してみましょう。

神の救いは、予め定められているって本当か  

神様の救いの計画を考えるために、ローマ8章29-30節を読んでみます。

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

ローマ8章29-30節 聖書協会

この短い聖句を文字通り読んでいくと、次のような解釈になります。

「神様は、救いに与る者と滅びに至る者を予め定めています。神様は、人間が何をするのか、すべてご存知です。神様は、誰が神様を信じるのか、信じないかを知っています。神様は、ある人たちを救われるように定めたのです。」

本当にこの解釈が正しいのでしょうか。実際、多くのプロテスタント教会が、このような教理を教えていますので、聞いたことがあるかもしれません。

神様はすべての人間が救われるのを望んでいる  

神様はすべての人間が救われるのを望んでおられることを、聖書から確認してみましょう。

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

1テモテ2章4節 聖書協会

しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

2ペテロ3章7-9節 聖書協会

これらの聖句が示すように、神様はすべての人間に悔い改めを求めています。ですから、主イエス様は、出会った人々すべてに、悔い改めるように言いました。

主を頑固に信じなかったユダヤ教教師たち、律法学者たちにも、悔い改めるように勧めたのです。なぜでしょうか。神様は、すべての人間に悔い改めを望んでいるからです。最初から滅びることが決められているのであれば、なぜ主は悔い改めを促したのでしょうか。

神様の救いのわざは不思議なわざ

神様がこのように望んでいても、ある人たちは神様を信じないで、この世の神々を信じています。

私たちには、なぜある人たちが救われ、ある人たちが滅びるのかわかりません。ある人たちは、聖書をまったく読むことなしに、死んでしまいます。救いのチャンスなど、まったくないまま、この世の人生を終わります。私たちには、なぜだか、分かりません。

この不思議な事実を、パウロは神様の御心として受け入れてたのです。しかし、救われないまま死んでしまった人が、神様によって定められて死んだ、と私たち人間が言う権利があるのでしょうか。逆に、クリスチャンになった人は、予め救われるように定められていた、と私たち人間が言えるのでしょうか。それは神様の領域です。ですから、パウロは、次のように結論付けています。

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。 だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

ローマ11章33-36節  聖書協会

この聖句が示すように、神様の救いのわざを理解することは、私たち人間には不可能です。ただ、私たちは神様の知恵と恵みに驚き、神様の愛にすがるしかありません。神様の救いのわざは、神様の働きであることを、認識しましょう。私たち人間のわざではありません。

しかし、神様の救いのわざを人間の解釈によって、誰が救われ、誰が滅びるのか定められていると結論付けるのは、大きな過ちです。

私たちが変えられるプロセス

パウロのように、救いを神様のわざであると受け入れると、私たちの考えに変化が起きます。私たちが変えられるプロセス、霊的な成長が起こるプロセスを考えてみましょう。

神様は一方的な愛によって、私たちを招き入れてくださいました。救われた後も、神様は、私たちの人生で働いておられます。

ですから、私たち自身の努力によって、主イエス様のようになれるわけではありません。実際、多くのクリスチャンは、「私はりっぱなクリスチャンではない。私が主イエス様のようになるなんて不可能」と思っているかもしれません。事実、私たち人間の力や知恵によっては、不可能なことです。

神様は私たちを召し出し、義としてくれました。

私たちは、主イエス・キリストの招きに応え、「あなたを信じます。あなたの弟子として生きていきます。どうか、私は罪深い者ですが、私の罪をお許しください。私のような者でも、あなたの弟子にしてください」と告白しました。

天のお父さまは、私たちの信仰を見て、私たちを正しい者として、受け入れて下さったのです。私たちの罪をきれいに洗い流してくださいました。罪の種は、私たちの心にまだ宿っています。だから、時々、罪の芽を出しますが、それも私たちが告白する時、またきれいに、洗い流してくださるのです。

私たちが善い行いをしているとか、賢いから、神様は、私たちを受け入れてくれたのではありません。私たちが、主イエス・キリストを、人生の先生、人生の師として、天の神様として信じたからです。これが神様の救いの働きです。私たちは、神様の恵みによって救われたのです。

神様は私たちに神様の栄光を与える

神様は、私たちに神様の栄光を与えるとローマ8章30節は教えています。私たちは、神様の栄光など意識しないかもしれません。しかし、この礼拝メッセージでは、改めて神様の栄光が私たちに与えられる事実について考えてみます。

神様の栄光は、クリスチャンに聖霊によって与えられます。

2コリント3章17-18節です。 P.328

3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

輝かしい栄光は、神様だけがもっています。憐れみ深い神様は、私たちに栄光を分かち合ってくださいます。私たちが、主イエス様のように造り変えられていく時、栄光から栄光へとかわるのです。これは聖霊の働きなのです。

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目に見えない聖霊

新約聖書は、古代ギリシャ語で書かれているのですが、霊と訳されているギリシャ語の単語は風とも訳されます。

私たちは、風を見ることはできません。しかし、風に吹かれている木を見れが、風の働きを見ることができます。同じように、聖霊を見ることは出来ません。しかし、聖霊の働きは見ることができます。人々の人生が変わっていることで、聖霊の働きを見ることができます。

聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。このような聖霊の実を結ぶ時、私たちは少しずつ変えられていくのです。

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聖霊によって変えられ栄光が与えられる

その栄光は、私たちが主イエスのように変えられていくプロセスで与えられるのです。再臨される主イエス・キリストを待ち望む時、私たちは主イエス様に従います。ついて行きます。

ピリピ3章20-21節 P.365 

3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

この世で生きている間、私たちの目は天にいるイエス様に向けられています。私たちの国籍は天にあるからです。主イエス様を中心に生きている私たちは、神様によって変えられていきます。

主イエス様の再臨の時には、身も心もすべてが変えられ、主イエス様と同じ栄光の体が、私たちに与えられます。罪深い世の中で生きている私たちは、身も心も弱いのです。しかし、これが主の栄光へと変えられます。これは主の約束です。  

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聖霊の実は、神様の栄光になる  

聖霊の実は、神様の栄光になる。ヨハネ15章8節を読んでみます。 P.198

15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

私たちは、神様の多くの恵みを受けています。神様によって正しい者として、受け入れました。聖霊の働きによって、愛、喜び、平和のような聖霊の実を結ぶことができるのです。聖霊によって私たちは、栄光から栄光へと変えられていくと約束されています。

さらに、もっと大切なことは、私たちが聖霊の実を結ぶ時、神様が栄光を受けるのです。なんと素晴らしい事でしょうか。私たちが実を結ぶ時、神様が栄光を受けるのです。私たちも、神様の栄光によって光輝くことができるのです。

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栄光の聖霊が私たちに宿っている

1ペテロ4章14節を読んでみます。 P.433

4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

主イエス様を信じていると、この世の基準と衝突する時があります。そんな時、非難されたり、意地悪されたり、嫌味を言われたりするかもしれません。そんな時でも、大丈夫です。栄光の聖霊なる神様が、私たちを守ってくださっているからです。

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招きの言葉

キリスト者の人生は、山あり谷ありがあるかもしれません。それは主イエス・キリストを信じていない人も同じです。すべての人間が、苦労を経験します。で

は何が違うかというと、私たちは神様の大きな愛と恵みと憐れみによって、包まれているのです。神様によって正しい者として認められ、さらに聖霊が私たちの心に宿り、私たちを守り、導き、私たちを栄光から栄光へと変えてくださっています。

罪に満たされた暗い世の中でも、天に目を向けて、希望をもって生きていけます。どんな試練があっても、それに打ち勝つだけの力と知恵が与えられるのです。

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