多くの方々は、クリスチャンの生活の根幹は教会での礼拝にあると考えられますが、真理でしょうか。クリスチャンの生活の基本は、霊的な日々の礼拝にあることを、この記事で解説します。
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。ローマ12章1-2節 聖書協会
クリスチャン生活の基本
上記の聖句では、自分の体を神様の御用のために使いなさいと教えられています。その結果、聖なる実を結ぶことができるのです。実は使うのは体だけではありません。
主イエス様は、もっとも大切な戒めとして、「主なる神様を心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛しなさい」と教えています。
私たちがもっているすべてをもって、神様を慕い求め愛すことが求められています。つまり私たちの全身全霊で神様を愛するのです。そのような人を神様は祝福してくださるのです。これがクリスチャン生活の基本です。霊的な成長の糧です。
日々の礼拝が大切な理由
クリスチャンの霊的な生活は、健やかな眠りについて休息をとっている時から始まっています。良い睡眠をとり朝起きて何をするのか、神様が用意している成長の道を行くのか、それとも風に吹かれる風船のように流れに任せて生きていくのかを、私たちは選びます。
クリスチャンとして生きるのは、教会の礼拝に出席している時だけでしょうか。もしそうであれば、教会に出席している時だけのクリスチャンになってしまいます。
日々の礼拝が大切な理由は何でしょうか。主キリストは、「今日、生きる糧をください」と祈りなさいと教えています。今日という日は、今日一日だけです。日々、今日という日がきます。その日、その日、神様に祈り頼っていく、これがキリスト者の生き方ではないでしょうか。
このような人は、キリストの光によって心が満たされ、暗闇の世の中に生きていても、自分の立ち位置を知っています。暗闇の中でも前に何があるのか、どこから来て、どこへ向かおうとしているのかを知っているのです。
私たちはこの世で生きていますが、この世に属していません。私たちの国籍は、天にあります。私は日本人ですが、日本人である前にクリスチャンです。この教会には違った国籍をもった人がいますが、この世の国籍の前に、クリスチャンが先に来ます。
御心を求め、何が神様に喜ばれるかを日々祈る大切さ
だから、私たちは、何が神様の御心なのかを、常に求めて祈るのです。
現代のキリスト教には、本当にいろいろな種類があります。そしていろいろな意見を言う人たちがいます。クリスチャンの方々でも迷ってしまいます。悪魔によってだまされやすい世の中で、私たちは生きているのです。
神様に喜ばれることは何でしょうか。一人一人が、祈り求める責任を持っています。主イエス様のように、神様を愛し隣人を愛しているのでしょうか。常に、主イエス様に基準があるのです。この祈りのプロセスで、人は霊的に成長していきます。
この聖句でパウロは、霊的に造り変えられなさいと教えています。聖なる者になるように、神様は期待しているのです。しかし、私たちは、自分の意志や力で、自分自身を聖なる者に変える事はできません。神様に変えて頂く必要があります。
どのような人を神様は造り変えることができるのでしょうか。病人が手術台に横たわるのと同じです。静かに待つしかありません。最高の医者であるキリストに委ねるしかありません。
私たちの知らない方法で、知らない時に、主キリストは私たちを造り変えてくださいます。「主キリストが頑張っても、私だけは無理。こんな人間なんか変えられないだろう」と思っていても、主イエス様は奇跡を起こしてくださいます。
今日から始める霊的な礼拝
今日から霊的な礼拝をはじめましょう。ほんの数分間でも良いのです。神様に祈り、賛美の歌声を上げてみましょう。隠れた神様は、私たちが隠れた所で祈る祈り、このような独りの祈り、一人の賛美を聞いてくださいます。
私たちが何をするにしても、主イエス・キリストは私たちと共にいます。だから、主イエス様の栄光のために生きるのです。霊的な礼拝とは、主イエス様に命をささげる生き方そのものです。それが礼拝なのです。主イエス様は、私たちを見守り、助けてくださっています。常に祈りましょう。今週一週間、霊的な成長の道を歩みましょう。
ローマの手紙