コンテンツへスキップ 投稿日:2023年9月1日/更新日:2023年9月4日

国家の権威を敬う、平和的に抵抗

この記事では、混迷した世の中においても、国家の権威を敬う重要さと時には平和的に抵抗することも必要であることを学んでみましょう。

キリスト教の混乱

アメリカを筆頭に、21世紀のキリスト教は混乱を極めています。アメリカでは、政治とキリスト教が大きなうねりの中で絡み合って、社会を混乱させています。

同時多発テロが起きた後、イスラム教に対する迫害が、アメリカ人クリスチャンの間で起きました。あるプロテスタントの牧師が、イスラム教の聖典、コーランを焼き捨ててYoutubeに投稿しました。

今、アメリカは、2001年、同時多発テロの後の混乱にあります。約二年前に、トランプ前大統領の支持者たちが、ワシントンで集会を開き、そのまま議事堂に押し寄せた事件がありました。その中の多くの人々がクリスチャンであったのです。

さらにコロナ禍の中で、ワクチンを受けるか、受けないかで、クリスチャンの間で論争が起きて教会が分裂を起こして、その結果、多くの方々が教会を離れていきました。

アメリカのキリスト教と他の国々のキリスト教

前後の日本の諺に、「アメリカが風邪をひくと、日本はくしゃみをする」という言葉がありました。それだけアメリカの影響力が日本に大きかった事実をもの語っています。

戦後、1945年以降、キリスト教が宣教されて以来、アメリカのキリスト教は、日本のキリスト教に大きな影響力をもってきました。おそらく、他の国々のキリスト教にも大きな影響力があるでしょう。21世紀のキリスト教は、政治的に影響されながら、クリスチャンの人々もその大波に流されて動いています。

このような21世紀の社会で生きているキリスト者は、どのような行動を取ればいいのでしょうか。私たちの教会は、キリスト者として神様の御心に適った行動をとれるのでしょうか。

支配者への従順という戒め

今日は、ローマ13章1‐7節を読んで、この聖句を21世紀のキリスト教に当てはめて考えてみましょう。

 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

ローマ13章1‐7節 聖書協会

支配者や政府に従順に従いなさいという聖句は、ローマ13章だけでなく、テトス3章1節や1ペテロ2章13節にも書かれています。ですから、これが神様の御心であることがわかります。この意味をもっと深く理解してみましょう。

なぜ支配者への従順が求められるのか

なぜ支配者、政府への従順が求められているのでしょうか。なぜこれがキリスト者の行いなのでしょうか。国を治めている政府、権威は、神様によって与えられているからです。国の権威も政府も、神様の支配下にあるのです。

神様は、国の政府に法律を作る権威を与えています。人間社会の秩序を守るために、法律が造られているのです。それも神様の許可があるから、政治家たちは法律を作れるのです。しかし、支配者や政府の法律に従うとは、盲目的に政治家たちに従うという事ではありません。

支配者、国を治める政府に従順になるとは、神様の支配を信頼しているということです。我々が身勝手に人間の判断で、政府に反対したりしては行けません。

天のお父さまである神様は、すべてを見ています。私たちの祈りも聞いています。先ほど、アメリカの政治とキリスト教が、日本のキリスト教にも影響を与えていると言いました。確かに、この傾向は、Twitterやフェイスブックなどのソーシャルメディアに見られます。

私たちは、一歩下がって冷静に考え、神様の御心が何なのか祈りましょう。みんなが行くから私も行くとか、この偉い先生が言っているから私も信じるとか思う前に、神様の支配を信頼するのです。聖霊が与えて下さる知恵と示唆によって、何が正しいか、何が神様に喜ばれるかを祈るのです。

見える所でも見えない所でも、善良な市民

キリスト者は、見えるところでも見えない所でも、善良な市民であるべきです。キリストを信じていない人々とも、平和的に暮らしていくのが、キリスト者の役割です。

そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。

1テモテ2章1‐3節 聖書協会

政治に関りをもっている人たちのために祈りなさい、と教えられています。政治的に違った信条をもっていても、私たちは、国家の政府に関りを持っている人たちに祈ります。

善良な市民としてやるべきことをキリスト者はやります。当然、納めるべき税金は納めます。主なる神様をほめたたえ、崇める信仰によって、国の政府に従順に従うのです。

政治的に誰を支持するかは自由

6年前にトランプがアメリカの大統領になって以来、アメリカのキリスト教は分断されています。教会の中で、政治の話がされるようになりました。意見の食い違いで、教会が分裂してしまうほど、議論は白熱したのです。

しかし、政治的に誰を支持するかは自由です。それを議論して教会が分裂するなど、愚の骨頂です。愚かの極みです。私たち人間の主義主張が、神様の教えよりも大切になってしまっているのです。アメリカのキリスト教の分裂は、今でも続いています。2024年には大統領選挙があります。その時には、アメリカのキリスト教はもっと混乱しているかもしれません。そのような混迷した流れに、私たちは影響される必要はありません。

このような愚かな事例から、私たちは学ぶ必要があります。

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人間が神様の領域に入る時

しかし、人間が作った国家の権威が、神様の領域に入るときがあります。神様は、人間が作る国家の権威を認めていますが、罪深い人間は限度を超えて神様の戒めに反することを決めることがあるのです。

そのような時、私たちキリスト者はどうすればいいのでしょうか。それでも国家の権威に従うべきでしょうか。従順になるべきでしょうか。

どこかで線引きをする必要があります。神様の教えに明らかに違う事を、国家が決めるようなことをした場合は、反対するべきです。

たとえば、「天の神様以外の物、人を礼拝せよ」と命令されたら、私たちはどうするべきでしょうか。神様を礼拝することが禁じられたら、どうするべきでしょうか。教会の集まりが禁止されたらどうするべきでしょうか。

もちろん、声を上げるべきです。反対すべきです。抵抗すべきです。私たちは、物質を礼拝できないし、人間を立てあげて礼拝することも出来ません。そんな法律が出来たら、何が何でも抵抗しなければなりません。

旧約聖書の時代に、ダニエルという人がいました。彼は、真実の神様ではない偶像を礼拝しなさいと、彼が仕えていた王様に命令されました。しかし、信仰によって死をも恐れず拒否したのです。

また新約聖書の時代に、パウロは、主イエス・キリストを否定するユダヤ教の権威ある人たちと対決しました。このように私たちは、主キリストを信じる者として、この世の権威に抵抗する時があります。

平和的に抵抗する

しかし、すべて平和的に抵抗します。なぜなら、私たちが信じる主イエス様は、平和の使者であり、平和の神様だからです。暴力に訴えて、抵抗したりするのは、絶対やってはいけません。

を読んでみます。

あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。…愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

ローマ12章14、19-21節 聖書協会

悪がこの世に蔓延って、それに合わせて私たちキリスト者も、悪に対して悪で打ち勝つべきでしょうか。そうではありません。悪に対しては、善によって打ち勝つのです。迫害する人たちを呪うべきでしょうか。祝福を祈るのです。

すべての人々と平和的に生きるべきなのです。

新しい契約と神様の裁き

古い契約下では、神様ご自身がカナンの人々を滅ぼすように命令しました。しかし、新しい契約では、そのような武力行使はありません。武力による抵抗ではなくて、平和的な抵抗をしなさいと教えられています。

敵のために祈りなさいと教えられています。21世紀の世は、もっともっと悪がはびこるようになるかもしれません。主イエス様を信じる人たちの中にも、その流れに影響されて、「目には目を、歯には歯を」の御言葉によって、復讐してもよいと考える人たちが出て来ています。神の御言葉を誤解している結果です。

平和的な抵抗というと、悪を見逃して、何もしていないではないかと考える人がいますが、それは違います。まず第一に、私たちは神様の裁きを待ちます。復讐は神様がすることです。裁きも神様がすることです。

このような時に、キリスト者としての忍耐が試されます。信仰が試されます。自分の思いが大切なのか、それとも神様の思いが大切なのか、私たちは問いかけなければなりません。読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。

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