ローマ人への手紙の歴史的文化的背景として、ローマ帝国の古代ローマの社会的状況を解説します。背景を理解することは、手紙を正しく理解するうえで非常に重要です。1.人口構成、2.宗教、3.組合組織
ローマ人への手紙の歴史的文化的背景を理解する重要性
ローマ人への手紙はその神学的重要性が強調され、手紙の歴史的、文化的背景が比較的軽視されてきた。しかし、著者パウロは、新約聖書の他の手紙と同じように、ある特殊な状況下つまりローマの教会の特殊な状況を顧みてローマの教会に手紙を書いたのである。他の手紙と同じように、手紙の歴史的、文化的背景を知ることは、適切な解釈をするために非常に大切である。
「何が書かれているか」という質問も重要であるが、手紙の場合「なぜ書かれたのか」という質問も同様に重要である。歴史的、文化的背景を考慮せずに解釈をすれば、文脈から離れてパウロが意図していた事ではないことをテキストに読み込んでいく可能性が高い。著者パウロが意図したことは何だったのかを読み解く―これが解釈の本来の目的である。そのためにも歴史的、文化的背景を出来る限り知り得ることは非常に重要である。

手紙が書かれた時の首都ローマの社会的状況や文化・宗教を知らずしてこの手紙を読むことは、手紙に書かれている内容のうわべだけの理解になってしまう。新約聖書の手紙を読むのは、電話口で他の人の会話を聞いているのに似ている。話し手が言っている事はわかるが、話し相手の状況を知らないと同時に、どのような事を言っているのかが聞き取れない。
その会話の背景や口調などを考えずに話し手の言葉だけを聞いていては、誤解して理解してしまう。新約聖書の手紙も同様である。特にローマ人への手紙のように体系的・組織的に書かれている手紙を解釈しようとする場合、その背景や文脈を無視してその内容だけを捉えれば、現代人に合わせた神学書のようになってしまいがちである。読者は無意識にではあるが、すでに既定化されたある特殊な神学に影響されて手紙にその神学を読み込んでしまう。もし、その神学を通して手紙を読めばその神学に染められた目でしか解釈できないだろう。
パウロは何を言いたかったのか、伝えたかったのかは、あくまでも1世紀の文脈で解釈されなければならない。さらに手紙を受け取ったローマの教会の状況も知らなければならない。そのためにはまず古代ローマがどのような都市であったのかを知る必要がある。古代ローマではどんな人たちが住み、どのような文化・宗教をもっていたのであろうか。その一つ一つを紐解いてみよう。
(1)首都ローマの人口構成
アウグストゥスは内戦に終結と政治的安定をもたらし、皇帝・最高軍司令官の地位についた。その政権下で、パクス・ロマーナ「ローマの平和」が帝国全域に広がり、人の行き来が自由になり、1世紀の首都ローマは経済的にも潤い、人口も増加した。その増加したローマの人口はおおよそ100万人いたと考えられている。人口増加の一つの要因として、多くの外国人が奴隷としてあるいは商業目的で首都ローマに移住したものと思われる。そのためローマにおいては、社会的にも宗教的にも違う様々な人種の人々が住み、その人口構成は非常に複雑であり、重要な社会的影響を与えていた。
首都ローマは1世紀のローマ帝国における人種のるつぼであり、多種多様の宗教や文化が入り混じった社会であった。移住してきた外国人たちは首都ローマでそのローマ社会に溶け込んでいきローマ化していったと思われるが、彼ら自身の宗教や慣習は捨ててはいなかった。ローマ市内のある地域に自分たちのコミュニティーを作り、自分たちのアインデンティーを保っていたのである。特にユダヤ人たちは首都ローマにおいてユダヤ人会堂を建て、ユダヤ教を実践していた。このようなことを可能にした理由として、次に述べるローマの人々の宗教観があると考えられる。
(2)首都ローマの宗教
ギリシャ・ローマ文明の大きな脈絡で首都ローマの宗教は語られなければならない。ギリシャ・ローマの宗教環境は他の宗教に対して寛容的であり、他の宗教の神々を受け入れる状態であった。宗教によって神々の名前は違っていたが、2つの神が女性であれば名前だけが違うだけで同じ神であると考えられていた。またそれぞれの宗教の中心的な神は同じであり、同じ神格を持っているとされた。1世紀のローマ帝国においては、紀元前の古代ギリシャ宗教に見られるようになになぞらえた?神の概念は薄れ、むしろ神の力を礼拝するようになっていた。非常に迷信的であり人に働く見えぬ力や運命を信じ、宇宙や星の力を信じていたのである。また神が与える特別な徳や利益はその神の名がつけられる傾向にあり、友好や平和は神聖なものと考えられ礼拝された。
ローマの宗教の最大の特徴は、宗教がモラルや道徳とはまったく無関係であったことである。すなわち宗教は個人的なモラルや道徳心に関わるものではなく、人々の集まりの中で儀式が行われるものであったのである。首都ローマの宗教は、特に集会の礼拝を重んじ、また契約上の法的な礼拝という概念を重んじていた。宗教深い人は儀式上のすべての義務を果たす人であり、宗教とは人が神に対して恐れをもち儀式どおりに礼拝すべきと考えられていた。逆にもし儀式を規則どおりやらなければ不安を抱くような迷信深いものであった。
ギリシャ・ローマの宗教は多神教であり、ユダヤ教の一神教とその儀式はローマ人にとって嘲笑の対象であり嫌悪感さえ覚えるものであった。しかし、多くのユダヤ人が首都ローマに移住してユダヤ教がローマで生き延びた。その理由はローマ人の宗教の権威に関する考え方があったからだと思われる。現代人はより新しい物が良い物であると考えがちである。たとえば、物理学や化学などの科学的新しい発見は宇宙上の真理を解き明かすと考えられるが、古代ローマ人はより古い物が真理をもたらすと考えていた。
宗教においては、この考え方がなおさら強く実践されていて、古代イスラエルから発したユダヤ教のような古い宗教に対してある種の畏敬の気持ちをもっていた。それ故に、ユダヤ教はローマ帝国において時に迫害を受けながらも、70年に神殿が破壊されるまでしっかりとした社会的基盤を持っていたのである。首都ローマにおいてもユダヤ人たちはある地域でコミュニティーを作り、聖書を読み、神を信じる共同体を作っていた。この共同体は、次に述べる互助会的組合組織に関連して考えられる。
(3)首都ローマの組合組織
首都ローマでは宗教的寛容さ故に多くの移民が住んでおり、その割合に応じて様々な宗教が混在していた。同じ民族であり同じ文化を持った特定の外国人移住者たちは様々な分野(貿易、商業、手作業の製造業、宗教など)で互助会的組合組織を作り、ある特定の地域に住んでいた。もっとも顕著な組合組織は葬式組合である。多くの外国人移住者たちは貧しく葬式を挙げられなかったので、このような組織の助けを得て伝統的な埋葬をする事が出来たのである。
その組織が商業、貿易、製造業、どんな種類の組合であっても何らかの形でその組織の民族の特定の宗教が関わっていた。たとえば、その組織が神々の名や宗教名に関わりがなくても、その会合は神殿で行われるか、または神の名がついている会堂で行われていた。また、これらの組織は、現代の経済的な基盤を強くするための職業組合ではなく、同じ民族間の友好と博愛を目的にしていた。ローマに住むユダヤ人たちも例外なくこのような意味合いからユダヤ人コミュニティーを作っていたのである。 ローマにおける外国人移住者たちが作った互助会的組合組織は、人々を地理的に分けて網の目のような社会的状況を作り出していった。このような状況はローマのキリスト教にどのような影響を及ぼしたのだろうか。またキリスト教がユダヤ人中心のクリスチャンから異邦人中心のクリスチャンになっていく過渡期において、ローマの教会にどのような影響を及ぼしたのだろうか。少なくともローマ人への手紙が書かれた背景として、重要な要素と考えられるべきであろう。