コンテンツへスキップ 投稿日:2025年1月8日/更新日:2025年1月20日

マタイ5章13節、クリスチャンは地の塩

地の塩とクリスチャンのミッション

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。マタイ5章13節 聖書協会

キリストはクリスチャンを定義づけする

神の民であるクリスチャンは地の塩であると、キリストはこの世でのクリスチャンの役割を説明しています。地の塩としてのクリスチャンのミッションは何でしょうか。

マタイ5章3-12節では、キリストは私たちがどのように神様の祝福を受けるのか、どのように生きるべきを教えています。キリストは、クリスチャンがどのような存在なのか、どんな人格をもっているのかを定義したのです。人はこの人生で何が必要なのか知っていると思っていますが、キリストは、人が必要な物は何かを教えています。この記事では、マタイ5章13節から学んでみましょう。

まだ貨幣がない古代の時代では、塩が物々交換の代わりに貨幣の役割をはたしていました。英語の塩、ソルトは、サラリーの語源にもなっているのです。それくらい古代では、塩は貴重でした。また塩は、食物を保存するために用いられていました。今のように冷蔵庫のない時代です。このように塩は、当時の人たちの生活にとって欠かせないものでした。キリストは、神の民であるクリスチャンをその塩にたとえています。

キリストの弟子のミッションとは?

「キリストの弟子には地の塩として特別なミッションがある」とキリストはハッキリと言っています。キリストの弟子は、神様の目には特別であり、価値あるミッションを受けているのです。

一人一人の弟子が、特別なミッションが与えられています。多分、人それぞれ、そのミッションは違うでしょう。しかし、地の塩としてのミッションはみんな持っているのです。そのミッションの意味を考えてみましょう。

クリスチャン、地の塩は味付けをする

塩の第一の役割は、味付けです。塩は、味も素っ気ものない料理にも一味、アクセントをつけます。それとは別に、塩は甘さを引き出させる役割もあります。たとえば、スイカに塩をふると甘みが増します。私たちが地の塩とはどんな意味でしょうか。この世の中で、どのように行動することが求められているのでしょうか。

いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。コロサイ4章6節 聖書協会

私たちの言動には、神様の恵みが反映されてなければなりません。なぜでしょうか。なぜなら、私たちはキリストの福音によって生かされているからです。キリストに従う生き方によって、キリストの愛と神様の恵みを示すのです。

パウロは、キリストの弟子のミッションを少し違った表現を使っています。

神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。2コリント2章14-17節 聖書協会

私たちは、周りの人々に神様の愛を漂わせるキリストの香りです。これは、キリストの弟子である私たち一人一人が与えられているミッションです。私たち自身、このミッションを行うべき力や知恵などもっていませんが、主キリストが大元の力と知恵を与えて下さっているのです。

クリスチャン、地の塩は人々の腐敗を防ぐ

この世には悪が蔓延しています。人の心は、目に見えない形で病んでいます。人間の愚かさは、キリストが生きた2000年前も今も変わりはありません。だから、神は神の民にこの世での特別な役割を与えているのです。

神の倫理観と道徳観によって、この世がこれ以上、腐敗しないようにするミッションを、神の民であるキリストの弟子は与えられています。地の塩としてこの世の中が腐ってしまう事から守るように命じられているのです。キリストの愛の香りを絶えず届ける配達人として行動し、この社会のモラルを保ちます。

地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。マルコ9章44-50節 聖書協会

腐敗の役割は、腐敗物を除去することです。この意味で、イエス様は塩の役割が神の裁きをも含んでいると説明しています。地の塩として生きる時、私たちは神様の裁きのわざのために使われるのです。どのようにそれが起きるのでしょうか。

神様は、塩気をもった弟子たちをこの世に送りました。この世の悪を裁くために送りました。私たちが、キリストの福音を宣べ伝える時、人々に間接的に神様の裁きを宣べ伝えているのです。つまり、福音のメッセージを信じる人は神様の恵みを受けますが、一方で信じない人は神様の裁きを受けます。キリスト者が福音を宣べ伝えるとき、この裁きのメッセージを逆説的に伝えています。しかし、キリスト者が人を裁くという意味ではありません。裁きのわざは、主なるイエス様が行います。

混迷したこの世で塩気をなくす可能性

しかし、混迷したこの世では、私たちは塩気をなくす可能性があります。塩気をなくしたらどうなるのでしょうか。どのように塩気を保つことができるのでしょうか。

私たちは悪魔であるサタンにだまされやすい存在です。だから、主キリストは「塩気をなくしてはいけない」と警告しています。人生の道であり、真理であり、命であるイエス・キリストに目を向けていくしかありません。キリストは主の主であり、王の王です。

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。へブル12章1-2節 聖書協会

霊的な戦いを勝ち抜くために、主イエス様に常に心を向けること、これが心に塩気を保つ秘訣ではないでしょうか。2025年も主イエス様の再臨を期待しつつ生きていきましょう。