主イエス様の成長
シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。ルカの福音書2章34-40節 聖書協会
両親への祝福の直後、シメオンはマリヤに顔を向け、この子はどのような子となるか語ります。「イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、」です。幼子が行く先々である人々は倒れ、ある人々は立ち上がります。裁き主となります。「また、反対を受けるしるしとして定められています。」険しい道を歩みます。両親の手が届かない局面を迎えます。祝福から様変わりの展開、厳しい道が幼子を待ちうけています。
マリヤへの通告が、「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」祝福に続く預言です。祝福とは真逆で、剣がマリヤの心さえも刺し貫くでしょう、となります。あなたの体、肉を刺し貫くではなく、あなたの心さえも、です。心の中心に宿る者が刺されるのを見ます。そのとき、あなたの心さえも貫くでしょう。
以前、ある姉妹の一人息子さんが自分より先に逝かれたことを話してくださいました。その死に直面し、姉妹は「自分の心臓がもぎ取られた感じだった」と話しておりました。一人子を授かり将来を楽しみにしていたときの喪失です。言語に絶するほどの痛みが走ったのです。その痛みを、もぎ取られた心臓、と言わせたでしょう。今でも忘れることが出来ない体験です。
祝福と悲惨
幼子誕生は祝福と同時に、それに反する出来事が記録されていることを見逃すことが出来ません。暗さ、貧しさ、居心地の悪さがあります。それを投影するみことばがなおマリヤに届きます。「多くの人の心の思いが現れるためです。」幼子が成長し、やがてすべての人の思い、罪があらわにされ、のろいの木につくことでしょうか。裂かれる主イエスのみからだを預言しているでしょうか。十字架のイエスに人の罪深い思いがむきだしになる。そうとしか受け取れません。
どうして祝福とされたのでしょうか。十字架を前にある者は拒否し倒れ、他のわずかな者は立ち上がります。その狭間で十字架上のイエスを剣が刺し貫きます。十字架で人の思い、罪深さが露わになります。それを見ようとしない、見ない、受け入れない者の前でのろいの木にあげられます。この悲惨が、目をそむけるさまが祝福でしょうか。マリヤの心を刺し貫く出来事がどうして祝福の預言に続くでしょうか。
アンナのことば
ここでシメオンやヨセフでなく女性の登場です。女預言者はかなりの高齢であったと紹介されます。様々な人生経験をした女性です。人生のあらゆる苦楽の経験者です。七年間の結婚生活がありました。夫とともに住んだと書かれています。子供がいたかどうかわかりません。やもめとなった女性です。身近な者の喪失体験者です。社会的居場所が難しく、弱い立場の女性です。マリヤの心を刺し貫く感覚に男性より近くに生きています。神の深いあわれみ、配慮です。アンナのことばを聞く意味はあります。
夫を失ったアンナは八十四歳になります。宮を離れず、日夜断食と祈りで神に仕えます。八十四歳は隠居の年齢です。しかし、生ける限り神に仕えます。それが、日夜断食と祈りです。何か特別かなえていただきたい願いがあってではありません。断食で神を祈り倒す、願い通り神に働いてもらうのではありません。アンナは夜も昼も神に仕えます。神に仕える断食と祈りです。
シメオンが幼子の両親を祝福し、マリヤに語る場にアンナもいます。そこで神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望むすべての人々に、この幼子のことを語った、とあります。シメオンの預言の内容を聞きながら、その上で神に感謝します。聞いた上で、贖いを待望する人々に幼子のことをさらに語ります。幼子とマリヤの悲惨な将来を聞き、感謝し、贖いを語ります。
マリヤに襲う悲劇、アンナがシメオンに匹敵する年齢でなお語ります。「そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」贖いを待ち望むすべての人々、そのなかにアンナ、マリヤ、そしてすべてが含まれます。幼子を皆聞く必要があります。幼子の両親、地上のときが終わりに迫るシメオン、神殿で神に仕えてきたアンナ、すべての贖いが幼子にかかります。苦難の預言でも神が罪から贖う感謝です。
十字架への道
ルカは一つの場面から次の場面に展開するとき、階段の踊り場のような簡潔な記事を残します。ここで神殿の出来事を閉じ、しばらくポーズをおいて登場するイエスへの橋渡しをします。神殿で展開した熱気がおだやかになり、新しい展開へと導く歴史の水路とも言えます。
前回は律法の従いについて分かち合いました。ここでは、マリヤとヨセフの家族が律法に忠実なことを取り上げます。「彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った」、とあります。「主の律法」です。「人の律法」ではありません。異なりの吟味を欠くと「主の律法」が曲げられ、果たすべき目的が損なわれます。
幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。頼もしくもあり、喜ばしい報告です。成長は十字架の丘へと近づくことです。幼子の成長は私への愛のゆえです。成長の道のりは私の罪の赦しのためです。幼子の成長は罪深い者を救うための道です。
私たちの罪、弱さ、愛の欠けゆえ、幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていきます。その先に、私たちの救いの御業、十字架があります。感謝します。十字架への道を歩む独り子に神の恵みがあった。父なる神が幼子の十字架への道の同伴者となり、私の罪の贖いに向かってくださいます。
- ルカ2章34-40節。主イエス様の成長
- ルカ2章21-33節。律法の下の御子
- ルカ2章8ー20節。羊飼いと天使
- ルカ2章1‐7節。キリストが生まれた日
- ルカ1章57-66節。先駆者ヨハネ
- ルカ1章46-56節。マリアの賛歌
- 外部リンク ルカ福音書1章46~56節 賛美に生きる