荒野の試み
先にイエスの誕生に関わる人々が系図であげられました。主イエスの公生涯に先駆けてあげられ、主のミッションの開始です。ところが、まだなにもしていないところで誘惑があります。御業を予見する誘惑者が近づきます。
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。ルカ4章1-2節 聖書協会
聖霊に満ちたイエスは御霊に導かれて荒野で誘惑に遭います。神は誘惑するようなお方ではありません。どうしてこのようなことになったでしょうか。
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この誘惑は創世記でのケースと異なります。エデンの園では人が神を押しのけ誘惑者に耳を傾け、会話し罪を犯しました。イエスの出来事の始まりは聖霊に満ちてです。御霊に導かれてです。園も荒野でも誘惑者は同じです。しかし、誘惑される主体が園では人です。荒野では御霊にあるイエスです。被造物が歪んだプライドで創造主、神に挑む悪魔の迫りです。
人類の始まりに誘惑者が現われ、再びミッション開始直前に登場します。誘惑者はいのちの敵です。人生の悲惨を人の過ちと咎め責め、事を納めてしまう私たちです。悲惨の背後に破滅へと引きずり込む悪魔性が潜んでいることに気付かない人の限界です。耽美な空気に酔い、踊らされ、人の正義をかざし、浮かれるお人好しを誘惑者は好み、もてあそび笑い破滅させます。
ルカは誘惑の最後の場をエルサレム神殿とします。イエスが直面する最後の闘いの場として神殿を位置付けたのかもしれません。神を神とするところが形骸化し、神を求める人々の願いを閉ざす場となり果てます。権力の座、商業の場と変質します。やがて、神殿に関わる者と為政者たちが手を組み、城壁の外でイエスをのろいの木につけます。イエスへの誘惑の最後が神を神とする神殿であったのは宗教への痛烈なアイロニーです。
最もふさわしい場で、主イエスが隅においやられる事実があります。会堂で、そして、キリスト者と称される間でも、主イエスは生活の片隅に追いやられ、呼ぶときだけ登場してください。世界の片隅の家畜小屋での誕生を思います。だからキリストの名を紹介された人々はこころを遠ざけます。神殿の形骸化を、エルサレムを嘆く前に、主イエス・キリストの証人である信仰者、教会の悔い改めが問われています。
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問いで誘うものに
誘惑で共通しているのは悪魔からの問いです。悪魔は問い自分に引き込もうとします。アダムは問いに応答し悪魔と対話します。それが、神との断絶となりました。イエスは悪魔と対峙しながら、みことばと対話します。「・・・と書いてある。」これがあらゆる状況で優先する立ち位置です。神との対話、みことばを聞くことがなによりも大事です。
悪魔の攻撃は神への攻撃です。「あなたが神の子なら、・・・」あなたは神の子だから、持っているものを使って自己証明しなさい、と誘惑します。あなたの力を好きに使って問題ないでしょう。石をパンに変える奇跡に人々は驚きあなたの偉業を称えるでしょう。目先の期待に応える力こそ、あなたを祭り上げる近道です。あなたも空腹がどれだけ辛いことかわかっているでしょう。力を使ったら人々はついて来ます。悪魔の誘惑は世の成功への手引きです。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」と答えます。
更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。ルカ4章5-6節 聖書協会
権力を誘惑の種とします。虚偽の権力移譲を語ります。世の栄光を全部あなたに、と出来もしないことを自信満々に語る悪魔です。イエスは応えます、「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」狂気と幻想にあって、正気はみことばと対話する者だけに与えられます。「ある方が、なぜ礼拝に来ますか、と問われ、狂気になりそうな自分を正気に保つためです、と答えたそうです。」誰にでも当てはまる真実です。
悪魔がみことばで退かされます。みことばの真実が明らかになり、神の支配が明白です。一の矢、二の矢のいずれも聞こえは良いが、毒矢です。悪魔の闘いは劣勢です。諦めず第三の矢を放ちます。神の国宣言が始まろうとするなかなお悪あがきをし攻撃する悪魔にイエスはみことばを続けます。
最後に問う
そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。ルカ4章9節 聖書協会
最後の矢がエルサレムの神殿、その頂に立たせ放たれます。あなたが神の子なら、と事実そうであることをほのめかします。さらに、「『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」神の名を用い、御使いまで持ち出し、イエスが忠実に告白する、「・・・と書いてある。」の表現を用います。
みことばを悪用しミッションを妨げます。悪魔だけでなく神に仕えると思い込む者、共同体で起こり得ます。律法学者、パリサイ人、サドカイ派といわれる者たちに起こりました。祭儀を司る者が人々を神から遠ざけた悲劇があります。神に仕えると言いながら、実際は神を仕えさせます。今日もみ名を唱えながら、実のところは福音前進の障害となってはいないだろうか。
第三の誘惑で、イエスは答えて言われた。
「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」ルカ4章12節 聖書協会
あなたの神である主を試みてはならない、です。誘惑の目的は神の御業を封じ込めることです。誘惑を変わらないみことばで打ち砕きます。誘惑の手を尽くした悪魔はしばらくの間イエスから離れます。誘惑が終わりません。しばらくの間離れるだけです。
(次回は、主イエスと悪魔の闘いから、私たちへの警告、勧めに触れます。聖書箇所が繰り返えされますが、内容は異なります。)