コンテンツへスキップ 投稿日:2021年12月5日/更新日:2025年2月16日

旧約聖書の戦争の意味

戦争の地で歩く少女

旧約聖書の戦争の意味を、どのように理解すればいいのでしょうか。イスラエルの人々が戦争の当事者だけでなく、神様ご自身が「皆殺しにしなさい」と命令を出しているのです。愛なる神様が、人を殺しなさいと命令するとは?不思議なことです。旧約聖書の戦争の意味は何でしょうか。

イスラエルの歴史を振り返り、戦争の存在を認識してみましょう。イスラエルの人々は、約400年間、エジプトの地で奴隷として働かされていました。その人たちは、神の約束と契約に基づき、エジプトから出てカナンの地(現在のパレスチナ、イスラエル)に向かいました。カナンの地に着いた時、イスラエルの人々は神様の命令に従ってカナンの地を占領します。その箇所を読んでみます。

戦争が命令されている聖書箇所

ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。申命記20章10-17節 聖書協会

さらにイスラエルの民がカナンの地に住むようになった以後も、同様に神様は「ある人々を皆殺しにしなさい」という命令を与えます(1サムエル15章2ー3節)。

このような聖句をわたしたちは、どのように理解したらよいのでしょうか。このような聖句について、クリスチャンは真剣に向きあうべきです。「平和!平和!」だけ叫んでいるのであれば、他の団体となんら変わりはありません。神様が命令した戦争の事実に、ごいっしょに考えましょう。

旧約聖書の戦争の意味ー倫理的、道徳的な疑問

「クリスチャンは『神様は愛である』と言っているのに、なぜ旧約聖書では戦争が肯定されているのでしょうか」とクリスチャンではない方からよく聞かれます。実は多くのクリスチャンの方々も、この問題について何となく疑問に思っているのではないでしょうか。「神様の命令によって、イスラエルの人々がカナンの地を奪い取る」なんて、倫理的に許されていいのかという疑問が湧いてくるのではないでしょうか。それでも多くの方々は、この問題に真正面から向き合おうとしません。

なぜ神様はイスラエルの人々にカナンの地を略奪しなさい、と命じたのでしょうか。この疑問についてちょっとつっこんで考えてみましょう。戦争の存在を聖書から認めたので、戦争の存在理由も聖書から議論していきます。

イスラエルの民のための神の計画

神はイスラエルの民(アブラハムの子孫)の将来に関してアブラハムに預言します。その預言の要約は、「イスラエルの民はカナン人の罪が満たさるれまで400年間エジプトで奴隷として働くこと」です。アブラハムの死後、彼の子孫であるイスラエルの人々が、エジプトで400年間奴隷として働いた後、預言通りイスラエルの人々はカナンの地に行きます。その理由が次の聖句で説明されています。

あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは、「わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった」と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。申命記9章4節ー5節 聖書協会

イスラエルの民は、カナンの罪を裁くために主なる神様によって使われた器でした。その罪のために、神様はカナンの人々を容赦なく滅ぼしたのです。

アメリカの戦争とキリスト教

神にえこひいきはない

罪に関する限り、神様はえこひいきはしません。神様はイスラエルの人々も、彼らの罪ゆえに、同様に裁かれました。イスラエルの首都であるエルサレムは、罪ゆえにバビロンによって滅ぼされました。(2列王記24章2節ー4節)

神様はカナンの人々の罪を裁くために、イスラエルを使いました。約800年後、今度は逆に、神様はイスラエルの人々の罪を裁くために、バビロンを使ったのです。人類の歴史を動かしているのは、神様ご自身です。支配者なる神様は、人間社会に介入して、人間の罪を裁くのです。戦争は、その手段とも言えます。

結論

結論は、次の3つの点にまとめられます。(1)聖書は、神の権威によって行われる戦争を肯定している。神は、戦争という悪を通して人々を裁くことがある。(2)しかし、旧約の時代も新約の時代も神の民が、自分の判断で武力行使をした場合は逆に罰せられる。(3)「罪の報酬は死である」この原則は聖書全体を通して教えられている。肉体的な命は、私たちにとっては大切だが、神の目からは命そのものよりも、命の使い方の方がもっと大切である。

いかがでしたか。聖書と戦争について疑問をお持ちの方は、どのようにお考えでしょうか。

  1. 戦争と平和ークリスチャンの説明責任
  2. 命の大切さ、命は誰のもの?
  3. 外部リンク 聖書は戦争について何と言っていますか?
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