信仰と自由な意見交換

信仰と自由な意見交換

復帰運動の一人のリーダー、トーマス・キャンベルは「聖書が語るところを語り、黙するところでは黙する」と唱えました。またある他のリーダーは「信仰においては一致、意見においては自由、すべてにおいて愛」と唱えました。(元々は、1627年ヨーロッパで続いていた30年戦争のさなかに、平和と和解を望むドイツ人Peter Meiderlinがトラクトに書いたと言われています。英語ですが記事が書かれています。)

聖書に啓示されている明確な点においては質問の余地がありません。しかし、解釈があいまいな部分、難解な部分においては自由な意見交換が出来ます。

教派の式文や教理問答などのようなものはありませんので、すべての基準は聖書にあります。その聖書をどのように解釈するかも一人一人の権利であり責任でもあります。解釈があいまいな部分では、教会は一信者の意見を否定する権威を持ち合わせていませんので、むしろ活発な議論も可能になるのです。

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