日本人のアイデンティーはどこにあるのか

日本人のアイデンティーは、日本人の歴史観によって影響されていると思います。日本の奇妙な歴史が、日本人のアイデンティーを造っているといってもいいでしょう。一般論ですが、日本人は特異な歴史観を持っているように私には思えます。特殊な歴史観をもっている原因と日本人のアイデンティーとの関係について説明します。

歴史の成り立ちをどう見るか

歴史は点の動きがつながって、線になっていきます。ある日ある事が、何の背景もなく何の理由もなく、突然起きることはありません。必ずその事が起きる背景、伏線があります。歴史と文化は同じ歩調で歩いていますけど、文化は後からくっついて来ます。文化が歴史の先に出ることは、決してありません。

ある地域のある特殊な文化の起源を探る時、歴史の糸をひも解かなければなりません。何が起こったのか、なぜどのような背景で起こったのか。その出来事がどのような形で文化の礎になっていったのか、文化に影響を与えたのか。 点と点がつながって、歴史が出来上がっていき、その歴史上の一つ一つの出来事が文化に影響して、文化が形成されていくのです。

日本人の歴史観と文化

日本人
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わたしたち日本人の歴史観と文化は、どんな関係にあるのでしょうか。日本の歴史において一時的にですが、点がつながらない時期が、2回ありました。日本人の文化が分断された時です。明治維新において新しい文化、西洋文化が怒涛の如く入り込んで、旧い文化が検証されずに捨てられてしまった時です。その後、日本は西洋に追いつけ追い抜けでやってきました。

さらに1945年の終戦においては、今まで信じてきた天皇崇拝が間違いであったと気づかされたのです。一夜にして世界観を変えなければなりませんでした。その時も何の検証もなく、怒涛の時代を日本人は生きてきました。その結果として、日本人の心のどこかで、1945年8月を境にして、日本の文化の点(戦中)と点(戦後)がつながっていないのです。

日本人のアイデンティーとは?

戦後、日本の暮らしは多方面において西洋化してきました。食生活も住宅環境もその他の多くの生活様式が、西洋文化の津波に飲み込まれてしまっています。それでも大河ドラマを見ては、明治維新や江戸時代の事を考えたりしますが、実際の生活の中に日本人のアイデンティは生きているのでしょうか。日本人である誇りはあるのでしょうか。日本人でよかったと思うのは、和食を食べる時くらいでしょうか。

現代の日本人の文化の基礎を気づいているものは、日本化した西洋文化といえるでしょうか。YESといえると思います。

第二次世界大戦後の日本は、経済的にめざましい発展をとげてきました。しかし、その発展の過程で、日本人は何か大切なものを置き忘れてきたのではないか、と私は思います。日本文化の大切なものを、大切にしてキープしておくべきものをキープしてこなかったのです。田舎暮らしの人も都会暮らしの人も、日本人のアイデンティーをどこかで失くしてしまったのかもしれません。

ゆえに日本文化とは何かと聞かれると、どこに基準を置いていいのか、日本人は困るのです。俳句や短歌でしょうか?茶道でしょうか。もっと古くは和歌でしょうか。しかし、これらのものは今の日本人の実生活に生きていません。 それともすしやラーメンのような食文化でしょうか。これだけは日本人!と言えるものは何でしょうか。

劇的な形で文化が分断された故に、我々現代人(日本人)は、明治時代や江戸時代が別世界のようにしか思えないのかもしれません。大河ドラマで明治時代や江戸時代が再現されますが、本当にそんな日本語を話していたのか?と私は疑問に思ってしまいます。

江戸時代には、日本人はどんな日本語を話していたのでしょうか。歴史学者でないとわからないことが多いのです。自分の無知のせいもあるでしょうが、わたしは子供の頃、そんな事あんまり考えたこともなかったし、教育を受けた覚えもありません。

私はクリスチャンで日本人です。西洋の宗教と思われているキリスト教を信じています。だからと言って、日本人のアイデンティーを失ったのでしょうか。まったくその逆です。日本人としての誇りは忘れません。むしろ聖書を知ることにより、日本という国と日本に住んでいる人たちへの思いはつよくなりました。

最後に補足ですが、創造主なる神は、天地万物すべてを支配していると、聖書は教えています。その意味で、神は古代から歴史を動かしてきているとも言えます。聖書が教える歴史観は、始めがあり終わりがあるということ、私たち人間はその歴史の中で活かされているということです。

聖書が教える歴史観がわかると、この世の中の出来事を違った観点から見ることができます。人間の歴史を振り返る時、愚かなことの連続であることに気づかされます。いつの時代でも似たような事件、馬鹿げた出来事が起きるのです。そのように歴史上繰り返される愚行の中で、この世は確実に終わりへと一歩一歩向かっています。私たちはこの世で生かされています。どのように生きるかが問われていると思います。

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