管理人ーほぼアル中

心の健康を多くの人に

酔っ払い大嫌い

高度成長期の酒文化には、行け行けドンドンという一種独特の雰囲気があった。そんな酒文化の中で僕(管理人)は育った。というのも僕の両親はバーと一杯の飲み屋を経営したから。少し大げさに聞こえるかもしれないけど、毎日、酒の匂いと酔っ払いを見るのが、僕の日課でした。昭和30年代の高度成長期で、朝から晩まで働くのが当たり前の時代だったと思う。そのせいかどうかは知らないけれど、酒の飲みっぷりもみんな豪快だった。

私の両親の友人たちは、みんな大酒飲み。親戚もみんな大酒飲み。中には酒で身を持ち崩し病気になって、それが原因で早死にした人もいた。もっと強烈だったのは、酒癖が悪い人が酔っ払うと、お漏らししてしまうことだった。「これってバカだよ!」と大人たちを軽蔑のまなざしで見ていたものだった。もちろん、そんなこと、おくびにも出さないでテレビを見ながら笑っていたのだが。

知らないおじさんたちが、酔っ払って大いびきをかいて居間で寝ていたのを思い出す。そのうちにそのおじさんたちとも知り合うになり、僕は彼らの説教じみた話(人生は~なもんだよ)を聞いていた。実際にそのおじさんたちから、僕は子供なりに何かを学んだような気がする。しかし、彼らの寝顔を見ていると、何ともなく切ない気持ちになっていたのを覚えている。

このような光景を見ていると、やっぱり酒飲みだけには絶対なりたくない。10歳くらいの子供でも、酒に酔うことがどれほど愚かな行為か分かるのだ。だけど、この誓いは高校に入る頃には、もろくも崩れてしまっていた。

軽蔑していた酔っ払いになっていた

酔っ払い
Photo by Omar Lopez on Unsplash

その当時、ツッパリ高校生たちは洋ランを着ていた。僕は、その辺は少しトッポイ方だったので、「何でこの人たちこんな物着てんだ?」と無邪気に考えていた。眉間にしわをよせて怖そうな顔をして歩いてたのを覚えている。目が会うと「ガンつけてんじゃねーよ」と近寄って来るのだ。

でも自分の家の酒場でよく見かけていた本物のやくざのお兄さんたちの方が、よっぽど怖いなと思っていたのだ。今でこそ、入れ墨は可愛い女の子までやっているものだけど、その当時はヤクザの方々しかやらなかったから。

高校時代の硬派の人たちとは違う道を、僕は歩んでいた。女の子とイチャイチャしている軟派の方だ。その詳しい話はまた別の機会に。

話を本題に戻そう。酒飲みをあれ程嫌っていたのに、僕は酒の種類を相当勉強していた。親が酒場を経営しているのだから、当然かもしれないが。ウィスキーは何がうまいとか? ブランデーは何がいいのか? とかいろいろ蘊蓄を友達に傾けていたように記憶している。カクテルの作り方なんて本も家にはあったので、そんな本も読みながら酒の世界にのめり込んでいったのだ。世にも奇妙な物語にも出てきそうな怖い話だ。酒の嫌らしさをあれ程知っていたのに、なぜ酒の虜になっていったのか。

その頃、輸入される酒にはまだ相当の関税がかかっていたから、ジョニーウォーカーが10000円くらいしていたかもしれない。今考えると、信じられない。その頃、酒を飲んでいた人たちも同じだと思うが、僕も盲目的に高い酒はうまいに決まっていると思い込んでいた。いや、いや、いや、そんな事ありません、と思います。

飲み屋に通ううちに、日本酒も勉強したものだ。これは辛口、あれは甘口などなど知っているような口を偉そうにきいていた。あの当時はやっぱりアホでした。今はほんの少しは成長している気はするけれど。

「酒は飲んでも吞まれるな」を心に刻んでいざ出陣 

子供の頃よく聞いた言葉が「酒は飲んでも呑まれるな」だ。誰から聞いたのかは覚えていないが、何度も聞いた覚えがある。僕の高校では期末テストが終わると、飲み会があった。(もちろんこれは違法行為です。でも50年も前の話なので、時効ということでお願いします)。

ある同級生の両親は非常に裕福で、まったく使っていないマンションを所有していた。そこにわたしたちは集まり、パーティーをやった。お酒が必ず出てくるなと知っているときは、この言葉を心に刻んでいざ出陣していた。「酒には酔ってはいけない」と心で決めていて、今思うと、自分が素面でいられるのを誇りに思っていたふしがある。途中必ずトイレに行くのだが、そのとき2つのことをする。第一に、冷たい水で顔を洗って目をさます。その後、鏡で自分の顔を見て、ほっぺを2-3回ひっぱたいて酔いをさます。「しっかりしろ」と自分に言い聞かせてまた出陣。一番嫌いな酔っ払いに自分がなり、その自分を鏡で見ていると、自嘲的にニヤニヤ笑うしかなかった。

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