人生の目的とは?

心の健康を多くの人に

人は何か向かって目標をもって生きているとき、幸せを感じるかもしれない。生き甲斐がある人生だ。しかし、確固たる目標がないなら、人は生き甲斐を見つけられないだろうか。人生の目的はないのだろうか。

五木寛之氏の主張ーー「人生の目的はおそらく見つからない」ーーこれは真実だと思う。その理由をここで説明する。五木氏がお書きになっているとおり一つの目的が達成された後は、それは過去の記憶としてしか残らない。目的を達成した後には何が残るのか。ある人は脱力感だと言っていた。

人生の目的を追い求め見つけたと思った瞬間、それは単なる錯覚だったと気づかされる。ちょうど空の雲を見て「あれが目的だ」と信じて、雲がある近くの山の頂上に行ってみると、そこには何もない。あるのは空気中に浮いている水分だけだ。つかめるものは何もない。人生の目的にも、同じことがいえるのでないか。

五木氏は、人の話、経験、生き方に共感を覚え、信仰としてあるいは宗教として、そこに人生の目的を見出す事ができると書いておられるが、人が作ったものは、立場によって情況によって変化する。果たして、そのようなあやふやな方法で、人生の目的を見出すことができるのだろうか。

哲学者が自殺する理由は?

ある一部の小説家は、自分の人生で人生の目的を見つけようとして、小説を書いているのかもしれない。この意味では、小説家は一種の哲学者と言える。しかし、人生の目的は、人間が見つけようとして見つかるものではない。結局、人生の目的を見出せないと分かった小説家は、自殺の道を選ぶのかもしれない、と私は想像している。自殺した哲学者や小説家を数え上げてみると…。

  • ソクラテス
  • ヘミングウェイ
  • 太宰治
  • 川端康成
  • 三島由紀夫
  • 芥川龍之介
  • 有島武郎
最後の神の裁き

人生の目的は与えられるもの

人生の目的とは、私たち人間が捜し求めるものではないと思う。また見つけられるものでもない。むしろ、与えられるものではないだろうか。

もちろん、親なんかじゃない。ある親は、子供に人生の目的を与えようとする。「一流大学に入っていい仕事に就く」ーーこれが親が定める人生の目的。これはまったく空しい。

神は、天地万物を創造した。私たち人間を「神に似せられた者」として創造してくださった。人生の目的とは、私たちを創造してくださった神によって、与えられるものではないだろうか。

人間の「人生の目的」を定義づけするのは、私たちを創造された三位一体の神にしかできない。私たち人間が愚かにも、人生の目的を自分の知恵で求めようとするところに、まさに愚の骨頂があると思う。ゆえに、五木氏がお書きになっているように、「人生の目的」を見出す事ができないのも当然なのだ。

創造主である神は、それぞれ天地万物に役割と目的を与えた。人間も例外ではない。創造された人間の方が、自分の目的は何だ?と考えてそれを求めていくのはおかしな話だ。たとえば、車は走るために製造されたのが、車の方が「いや自分の目的は自分で探す。もっと他にあるはずだ。水の中で走ることが自分の目的だ」と言って、海に入ったら故障してしまう。人間にも同じことが言えると思う。

私は聖書の教えによって、「人生の目的」について説いていますが、人はこれを宗教だという。もし宗教を人間が作った信仰と儀式と定義づけしたら、わたしは、キリストの教えは宗教でも何でもないと思う。人間本来の人生の生き方を教えているだけだ。読者の皆さんが「人生の目的」を求めているのであれば、キリストの教えを読んでみるのが一番の早道。

もちろん、五木寛之氏の「人生の目的」と読み比べても結構です。むしろ読み比べた方が、聖書の御言葉の真実性がより明らかになると思う。イエス・キリストはすべてにおいて真実を語っている。

嘘偽りを言っているかどうか検証に値する方です。ぜひ福音書の一つを読んでみてください。

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