コンテンツへスキップ 投稿日:2025年2月20日/更新日:2025年3月7日

キリストの教えと幸福への近道

幸福への近道

幸福への近道が本当にあったら、そっちの道に行きませんか。キリストの道が幸福への近道です。私たち人間は、幸せになりたいという幸福願望を持っています。ある人は、お金で何でも買えると考え富に希望を持ちます。その人にとっては、裕福な生活が幸せの入り口です。またある人は、子供がいる家庭、家族にに幸せを感じるかもしれません。しかし、富も家庭も、事故や自然災害なので、一瞬に無くなってしまうかもしれません。その幸福感も風のごとく消えてしまうこともあります。人間の命とはそれほど弱い、はかないものです。

主イエス様が教える幸福への近道

では私たち人間に希望はあるのでしょうか。幸福に生きる道はあるのでしょうか。私たちが生きている世界は、人間の罪によって汚されています。人間の心は自己中心的になり、不正が行われています。その結果、社会は歪みあちこちで様々な不幸が人間を襲うのです。戦争は終わることはありません。犯罪も増す一方です。こんな世の中で私たちは、幸福になる方法はあるのでしょうか。

幸福への近道

私たち人間が恒久的に幸せになる方法は、創造主なる神様によってのみ与えられています。人間の幸せは、心が神様の方に向き、心が変えられて初めて実現するのです。一時的な幸せではありません。人間の幸せは、この世の財産や欲求を満足させることで達成するものではないと、主イエス様は教えています。次の7つの原則は、人間の人格を健全にし、幸福感をます。

1.心の貧しい人々は、幸いである。

神を慕い求めて助けを求める人は、神の幸いを受けます。心砕かれて、神様だけに救いを求める人が、神の祝福を受けるのです。心の貧しい人は、自分には何も誇れることなどないと認められる人、自分が罪深い罪人であると告白できる人です。この性質は、クリスチャンになるための第一歩の性質だと思います。また、いつも持つべきクリスチャンの性質です。心の貧しい性質を失ったら、クリスチャンとして生きてはいけません。

心の貧しいとは、貧相だとか卑しいのような意味ではありません。むしろ、その意味はまったく逆です。詳しくは、心の貧しい者は幸いですを読んでみてください。

2.悲しむ人々は、幸いである。

人生で経験する悲しみを、すべて神に告白しましょう。そのような人は、神によって慰めを受けると約束されています。私たち人間は、生きている間、多くの悲しみを経験します。これは罪深い世の中で生きている私たちには、避けて通れない道です。

遅かれ早かれ、死はやってきます。自分が死を迎える前に、親族の死や病気、事故、人間関係の不和、様々な悲しいことが起きるのです。その悲しみを人間はどこに向けるのでしょうか。「時間が解決してくれる」などと言われたことはないでしょうか。人間の慰めの言葉は、「悲しいことは忘れた方がいい。明るい方に目を向けた方が良い」です。

しかし、人生の悲しみは、神様の方に向ける人が本当の慰めを受けるのです。詳しくは悲しむ者は幸いです

3.柔和な人々は、幸いである。

他の人に侮られても悪をされても、神に信頼して柔和に受け答えできる人は、神の祝福を受けます。この地を受け継ぐような成功を経験すると約束されています。

最近の世の中の風潮として、ソーシャルメディアの影響から来るのかわかりませんが、自己主張が強い人が多くなったような気がします。自己主張して当たり前、できない人は弱い人のように考える人が増えているように思われます。その先頭を走っているのがアメリカのトランプ大統領でしょう。不思議なことに、クリスチャンの方々の間でもこの方は非常に人気が高いのです。

しかし、主イエス様は柔和な人こそ、神様の祝福を受けると言っています。このような人が、人はこの罪深い世の中にあっても神様の平安に満たされて生きていくことができるのです。詳しくは、柔和な者は幸いです

4.義に飢え渇く人々は、幸いである。

この世では多くの不正が行われています。正義を自分の力でまっとうしようとするのではなく、神に正義を求める人は、遅かれ早かれ満たされると約束されています。神の祝福を受けます。

不思議なことに、人はそれぞれ自分の正義を心に秘めています。人間社会の争いの病巣は、人間の正義を主張することにあるのです。自分が正しくて他は間違っていると考えている人たちが集まれば、当然争いになります。義に飢え乾くとは、神様の正義が行われるように祈ることです。詳しくは、義に飢え渇く者は幸いです

5.憐れみ深い人々は、幸いである。

他の人が失敗をしても罪を犯しても、憐れみの心で接することができる人は幸いです。なぜなら、そのような人は、神の大いなる憐れみを受けるからです。

罪深い私たち人間は、他の人の間違いには厳しく、自分自身の間違いには甘くなりがちです。他の人の罪を赦せない人は、神様の赦しを受けることは出来ないのです。他の人に厳しくすれば、その厳しさは必ず自分自身にブーメランのように帰ってきます。詳しくは、憐れみ深い者は幸いです

6.心の清い人々は、幸いである。

素直な清い心で神を求める人は、神を知ることができます。神ご自身が、このような方を招き入れ、御心を教えてくださいます。このような人は幸いです。なぜなら、神と近しい関係をもつことができるからです。

ところが、罪深い世の中に住んでいる私たちの心は、曇りがちになります。霊的に見えない状態になりやすいのです。ですから罪を悔い改めることが求められています。罪を悔い改め、神をまっすぐに慕い求めましょう。そうすれば主イエス様を知り神様を知ることができるのです。詳しくは、心の清い者は幸いです

7.平和を実現する人々は、幸いである。

争いごとが多い世の中で、神の知恵と愛によって仲裁に入り人々に平和をもたらす人は、神の子供であり主キリストの弟子です。すばらしい恵みを受けます。天の神の大いなる幸いを受けると約束されています。

平和を実現したお手本の方は、主イエス・キリストご自身です。私たち人間は、常に主イエス様のお手本を見習い学び、生きていくように求められています。その結果、平和を創る人にもなれるのです。詳しくは、平和を実現する者

いかがでしたか。以上、主キリストが与える幸せになれる近道、人生の方程式を紹介しました。上の7つを心がけ生きれば、この世で幸いなる人生が約束されています。霊的に充実した人生、主イエス様が教える人生の成功も得ることができるでしょう。天に宝を積むことにもなります。